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宇宙の叡智を地球と人類の目醒めのためにー本質を学ぶー
森井啓二先生がお書きになられた解説書「神の詩」
第二章 魂を覚醒に導く 人類史上最高の真理の書がここに開かれる。聖典バガヴァッド・ギーター「生き方と働き方学校」の生徒による「神の詩第二章 まえがき P3~P9」の感想文です。
今年もいよいよ神の詩の勉強会をしっかりとしていきたいと思います。
森井啓二先生のまえがきの文章は本書で是非お読みください。
A.T
人間誰しもが考えたことがあるであろう「何故、自分は生まれてきたのか」という問いに対する答えが既に前書きで存在していたことに驚きました。人は皆それぞれ目的や目標を持って生きていますが、高い次元から見た究極的な意味は等しく「地上で魂を磨き、質を高めること」ということに気づかされました。この高次元的なメッセージに世の人すべてが気づくことができれば、世界は確実により良くなるのではないかと思います。研先生がこれからは物質に囚われる時代ではなく、意識の時代だと仰られていたことを思いだし、それは前書きにも同じことが言われているではないかと気づいた時、これから自分はどう生きていこうかと深く考えさせられました。これほどまでに崇高な書を解説してくださっている森井先生には頭が上がりません。つくづくこの書を読むことが出来て良かったと思いました。
K.T
今日、私が神の詩を読ませて頂き、一番感じたことは、自分は何のためにこの世に生を与えられたのか、しかも人間としてということです。思えば思うほど、これほどに根源的な問いかけは無いと感じます。この問いかけを忘れたところに様々な自己の問題が起こって来るのだということが判ります。自分はこの問いかけを毎日自分に課して、少しでも魂を良くしたいと思います。神の詩に触れさせて頂く度に身が引き締まります。今日はありがとうございました。
Y.K
人は何のために生まれて生きているのかと考えさせられる文章です。動物や植物の世界と人間の欲望の世界を比べて書かれている所は、私たち人間の在り方を考えさせられます。動物や植物は与えられた命をそのまま生きて、一つ一つの働きが全体としては損なわれることが無く、成長と発展を続けています。さらにそこには美的なものがあり、力強さがあり、大きな環の中で調和されて生きています。人間の想念が地球を黒雲で覆い、今にも地球は壊れていきそうな様相を示しています。私たち人間が目醒めていけば、動物や植物の世界も更に調和された美しいものになっていくものだと思います。人は何のために生まれて何のために生きるのか!私たちの世界をより美しいものに現わすために自らの内奥の輝きを引き出すために生きているのだと思います。
A.Y
人間の生きる目的をエドガー・ケイシーは「魂を完璧な存在”The Whole”と調和できるまでに高めることにある」と述べたというところが印象に残りました。The Wholeとは「大いなるもの」または「サムシンググレート」と言えるかと思います。肉体を保持しながら、魂を大いなるものと一致させるべく向上させる。という人生の真の目的を多くの人々が忘れてしまっています。自身に目醒めた人が少しずつ増え、その精神を伝えていけば、世界のあらゆる闇を光へと転換できることができるでしょう。それを今回の勉強会で改めて認識することが出来ました。ありがとうございました。
D.N
どんなに外側の世界が素晴らしくても、それを認識して知覚し、評価するのは内側の心だけです。という文章を読んで、今まで僕が思ってきた考え方がそうではないのだと分かりました。どんなに苦しい状況でも、それを幸せだと思える心があれば、その人は周りからどう思われようが幸せなのです。だから、僕は常に感謝と幸せを感じる心を忘れずにいれば、幸せな人生を送れるのだということが分かりました。この学びをいただけてありがとうございます。
M.S
本日もこのような勉強会を開かせて下さり、本当にありがとうございます。今回は、前書きとして森井啓二先生の言葉を聞かせていただきました。何度か読んでいますが、改めて読み返す都度に、自身を考え直させられます。自分は物書きを志そうとした以前は、ただ受動的に医学の道を進もうとしていました。しかし、その道において、自分は明確な目的も、未来のビジョンも描けず、結局、体調を崩してしまう程に悪くなってしまい、その道を諦めざるを得なくなりました。もし、自分がこの時に「人を何としてでも、救いたい」という意思を抱けていたのなら、迷うこと無く医学の道を歩んでいたのかもしれません。幸か不幸か自分がその思いを抱けたのは、物書きの夢を見つけた時でした。はっきり言えば、誰でもできますが、それが人々に読み継がれるものになるか否かは、その哲学性、人間力が大いに備わっていなければ、夢のまた夢です。今でもまだ、名誉を求む心があるやもしれません。しかし、それをも捨て去った境地で、執筆できる時を自分は目指そうと努力したいです。その願いが、如何に人のためになり得るか、それを知るためにも精進を続けたい限りです。
R.S
自分が生まれた目的は何か、そのことを深く探求していった人たちの残した言葉は、普段そのことを殆ど考えていない私にも、忘れてしまったことを教えられたような感覚があります。このような本から学ぶことができるのは、幸運なことだと思いますので、集中して読み進めたいと思います。
H.K
今回読んだ中には、人間が本来どのような目的をもって生きていけば良いのかを分かりやすく説明されていました。人として生まれてきたことの意味を深め、自分の魂を磨いていきたいと思いました。この先も読み進めていきたいと思います。
T.S
聖典の言葉の「私のダルマ」それの第一メッセージの「私が地上においてなすべき行い」について注目し、考えました。魂を完璧な状態、それに向かうために人の役に立つ行い、愛、協調、奉仕といった利他行で自分の魂を磨くことと思いました。しかし、実際に具体的に何をすれば良いか、それは子供のころから教えられてきた「人を殺してはいけない」「人から物を盗んではいけない」といった当たり前のことや、今の自分に与えられた課題をこなすこと、そして、そこから逃げないことと思いました。そして、今、自分がおかれた境遇に感謝し、毎日の生活の営みの中で内省を繰り返し、自分の人格を高めていくことが、「地上でのなすべき行い」の本質の一部と私は学ばせて頂きました。ありがとうございました。
N.T
人は愛し合い、助け合い、足りないところを補いあうことで、人生は作られていると思いました。人は一人では生きることは出来ないし、孤独ではありません。人であるということを、人は自分で気づく時が必ずきます。そこから人生というのは始まるのだと思います。人生で最高の目的は、他者のために生きることだと思いました。人を大事にすると、自分も大事にされます。そうやって、良い循環が生まれ、幸せを感じることができると思います。いつか死ぬその時まで、生きていて本当に良かったと思える人生を最期まで生きたいです。
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