水輪

どんなところ?

いのちの輝きを思い出す場所。それが「水輪」

大自然に囲まれた心と体といのちのセンター

いのちの森4万3千坪の大自然に囲まれた心と体といのちのセンター いのちの森「水輪」は、一人一人の心と体といのちを大切にする建築医学から設計されました。総天然木全60室、ホール9室のクリーンな館内は寝具に至るまで清潔に保たれ、人工物に遮断されることなく、桧と杉のフィトンチッドがリラックス効果と自然治癒力をひき出し、心身の浄化を助け、やわらかな天然美濃和紙の照明が、皆様をお迎え致します。
料理は、隣接する広大な水輪ナチュラルファーム光の水自然農園の朝採り一番フレッシュな野菜とハーブ、厳選された無添加の素材と調味料を使い、メイン料理からデザートまで、すべて手作りの真心でお作りしています
医療、教育、哲学、文化、食育環境の分野から人間のいのち丸ごとを目指すホリスティックな健康観と信州飯綱高原のさわやかな澄んだ空気と自然環境が訪れる方々の癒しの場となり、新しいライフスタイルを求める人々の気づきと学びの空間ともなっております。
またフリースクール「生き方と働き方学校」では畑や田んぼ作りなど青少年育成実習の場を通し、社会復帰支援も行なっています。

いのちの森「水輪」 ~塩澤 みどり~

いのちの森構想 水輪の輪――はじまりは、ひとしずくの愛。

いのちの森構想を育んできた45年
―ひとりのいのちから無限の愛へ―

娘・早穂理の誕生
始まりもそうだった。他者の手助けなしには生きられない少女が、出会った人の心を澄み切らせていく物語のうえに、「いのちの森」である水輪はその輪を広げていったのだ。

塩澤研一さんとみどりさん夫妻は1975年、出産時に前頭葉損傷という障害を背負った一人娘の早穂理さんを授かった。歩くこともしゃべることもできない早穂理さんとその家族に、世間からは否応なく冷ややかな蔑視のまなざしが向けられる。その疎外感から早穂理さんを守り育てるため、人里離れた飯綱高原にささやかな一軒家を建て、「早穂理庵」と名づけたところからすべては始まった。
みどりさんが乱れる心を克服しようと参禅していた寺の導師が、土地を見ていった。「ここは特別な気をもっている。将来、大事な道場となるはずだ」。そして40人の高弟とともに地鎮祭を行い、土地と建物に修法をしていただいた。期せずして早穂理庵は、最初からサンクチュアリであることを運命づけられて誕生する。

くり返される発作で身体機能が低下していく一方の早穂理ちゃんと向き合うだけの日々。
どんな変化にも対応できるように、みどりさんの気のセンサーは研ぎ澄まされ、以心伝心ともいえる反応を常に体験した。しかし、早穂理は何のために生まれたのだろうという嘆きと、自分をかわいそうだと思う心からは逃れられない。すべてを投げ出して楽になりたいという思いに、ひたすら向き合った。
あるとき、窓から眺めていた雪が静止した。目の前の空中で動きを止めた。初めて体験する、目に見えないエネルギーと叡智の実感だった。そして悟った。
今、私がこの瞬間に立ち会ったということは、神がそれを味わいなさいと言っているんだ。
そうだ、早穂理との日々も、私に向けられた悪意も、それは味わうために与えられたもの。悲しいことも、苦しいこともすべての出来事は味わうために起きているんだ。私はそれを味わう力を与えられている。だったらとことん味わっていこう。
みどりさんは、かわいそうなお母さんをやめた。気の毒そうな視線に笑顔を返す余裕と、その都度起きてくる出来事を味わう楽しみを手に入れた。相手に理解されないことは深い悲しみをともなったが、その悲しみさえ、止まって見つめて味わう深い喜びに変わった。心の動きを止めれば味わえることを、雪に教わった。

娘を生かすための学びが水輪を生んだ

いつしか早穂理庵を訪れる人が増えてきた。いっしょに座禅を組み、音楽を奏で、心について学んだ。人の輪の広がりに合わせ、来客が泊まれる部屋を増やし、瞑想ルームも作った。その集いは「水輪の会」と名づけられ、やがて「リトリートセンター水輪」に結実した。
1993年のことである。
しかし時は、今のスピリチュアルブームの前身となるニューエイジブームの頃。自分自身が浮わついたら、おかしな霊能マニアやオカルトマニアが入り込んでくる。水輪は地に足の着いた志の高い人たちが集ってくる場でなければならない。そのため、当初は宣伝も行わなかった。しかし、自然発生的に一人から一人へと人の輪はますます広がっていった。
来客への食事は料理が得意な研一さんの役目だった。食材は自然のものだけにこだわった。教えてくれたのは早穂理ちゃんである。食事をうけつけなくなって危篤状態に陥った彼女が、栄養食をやめたことで回復したのだ。いのちと直結する、旬のイキのよい食材を確保するため、自然農法も手がけるようになった。
人を癒すには、患部を治そうと思うのではなく、体は神から与えられた愛の気を流す道具であると受け止め、ただ天から無限の愛の気を呼吸し、それがただひたすらに、ひたすらに流れていく、ただそれだけということを悟った。
すべては早穂理ちゃんを生かすため、必要にかられて学んだことだった。それがいつしか、「水輪」で人を癒し、もてなすノウハウの蓄積となっていった。「早穂理は私たちの先生ね」とみどりさんは思った。
水輪を始めるうえで、研一さんとみどりさんには、明確なテーマがあった。一人ひとりのなかに喜びを生み出すのも、苦しみや悲しみを生み出すのも、その人の意識。世の中の幸せも理不尽も、すべて人の意識が生み出す。ならば、地球と世界のために、人の意識が進化、成長してほしい。そのための学びの場を作ろうと決心した。人のせいにすることは何ひとつもない。すべては自分自身だ。大きな力が動き始めた。

早穂理ちゃんに育てられたいのちの森構想

早穂理ちゃんを中心とした20 年に及ぶ人の輪のなかで教わったのは、誰しも「良心」や、みんなのためにという「公共心」「まごころ」をもっているということだった。それを教えてくれたのも早穂理ちゃんである。
どんな人も早穂理ちゃんの前では本来の自分に立ち返る。早穂理ちゃんの存在に嘘がないからだ。自分を取り繕おうとする人に、早穂理ちゃんはすぐそっぽを向いたり、見透かしたように笑ったりする。だから誰も偽りの心ではいられない。それだけではない。自然体の早穂理ちゃんと接するうちに、悩んでいた人、疲れていた人が、いつの間にか癒されていく。人は一人では生きられない、誰かを念(おも)う心があればこそ生きていける。弱いはずの早穂理ちゃんが、知らずに人の心を澄み切らせてしまう。そのとき早穂理ちゃんとその人の間に、どちらが健常者だとか、施す施されるといった差異はすでにない。ただいのちといのちでつながっているだけである。
そこから純粋な善意や思いやりが生まれてくることが、水輪には幾度もあり、それは人類の可能性を示すのかもしれない。エゴを手放しさえすれば、自然にいのちといのちで生かし合うことは可能なのだ。水輪はそれを可能にする学びの場でありたい。そういったコンセプトは、社会背景の変化を反映して、さらに膨らむ。現代社会の問題は、経済、医学、芸術、教育、科学、農業、宗教哲学などがバラバラに存在し、非人間的になってしまったことである。
それらを統合するホリスティックなテーマが必要だった。それが、“いのち”である。
早穂理ちゃんを通して見えてきたことは、一人ひとりのいのちが輝き、家族や社会、宇宙のいのちへと調和していく道が、これからの人類に必要だということ。いのち丸ごとつながりあう道。そのためには、いのちの本源に立ち返る学びの場を作る必要がある。しかもそれは、ニューエイジやスピリチュアルの愛好家だけでなく、社会に受け入れられ採用される、地に足の着いた堅実な形をとらなければならない。
そこから「いのちの森構想」が立ち上がった。水輪を中心とする教育施設、文化振興交流施設を立ち上げ、意識の進化をうながすカリキュラムの確立や、エコライフの実践の場にもしていく、次世代への文化創造活動である。
そのためには大規模な資金や土地が必要になる。もちろん水輪にそんな余裕はない。だが研一さんとみどりさんは動いた。みどりさんがコンセプトを構想し、研一さんがそれを外部に伝えるべく行動していく。
はじめから不思議な意志と力に導かれた水輪だったが、やはりここでもその大いなる力は動いた。いのちの大学構想(いのちの森構想)に支援の力が集まった。個人だけではない。いろいろな企業が支援をしてくれた。
その流れのなかで、会社経営者でもないみどりさんが、京セラの稲盛和夫氏の推薦を受けて、経営者の勉強会である盛和塾の長野支部を立ち上げることになった。それは支援の大きな流れのひとつとなった。
やがて水輪の隣に1万5千坪の農地を取得し、レストランやフリースクール、ホリスティック医療によるクリニック、大人数の宿泊施設などが、次々に実現していった。そして2006年には財団法人の認可を、さらに11年には公益財団法人の認可を受け、「公益財団法人いのちの森文化財団」という形が整った。理事長はみどりさん、副理事長が研一さんである。
親子3人で世捨て人のように飯綱高原に移り住んでから37年。いのちの森構想は今、次の時代にそれをいかに継承させていくかという段階に入っている。それを可能にする人材が育ってきた。やがて一般社会にもそのノウハウが浸透していくだろう。
さらに、水輪とともに歩んできた人たちが高齢者となり、「人生の締めくくりを水輪で迎えたい」という声も高まってきた。いのちの森文化財団にとっては、シェアケア施設という新たなテーマの登場だ。まさに癒しから死まで。いのちといのちの絆が水輪のなかで、丸ごと円環構造を結ぼうとしている。
そして、いつまで生きられるかわからないといわれた早穂理ちゃんは、今年45歳を迎える。
いのちの絆は切れなかった。それどころか彼女が水輪を育て、(公財)いのちの森文化財団の絆の要となってくれている。いまさら彼女が生まれた意味を問い直す人など、もういない。

(『スターピープル』より抜粋)

いのちの森「水輪」の関連書籍

『早穂理。ひとしずくの愛』
塩沢みどり監修 中川奈美著

『ナナカマドの咲く頃。』
塩沢みどり監修 中川奈美著

『いのちにやさしい野菜のレシピ』
塩澤研一著 帯津良一監修

『現代人の伝記2』
致知出版

『水輪のさおりさん』
匂坂秀子作

出産時の医療ミスにより重度の障害を持つことになったさおりさん。ご両親は、その運命をどれだけ悲しまれたことでしょう。事故を恨み、自分を責める苦しい日々を重ねられながらも、現実には1日1分も気を抜くことのできないお世話に、心身のお疲れも計り知れないものがあると思います。
しかし塩澤ご夫婦は、天から授けられた“いのち”をそのままに受け入れてはぐくみ、と同時にたくさんの“いのち”を育てる「いのちの森 水輪」が誕生しました。
2500年前、お釈迦様は人々を生老病死の苦から救いたいとの一心で修行を積み、悟りをひらいたと聞きます。でも、現実には人はなかなかこの四苦から逃れることができません。
水輪を訪れる人は、みなこの苦しみを内に抱えながらも、塩澤ご夫妻の姿と水輪のあり方に苦しみを越えるヒントを得ているのだと感じます。それは、現実の苦を受け入れ、愛の力で磨きはぐくむこと――。
どんな障害や苦でさえも、人の「いのち」を育てる天からのプレゼントなのだと教えていただく場所が、水輪なのだと感じます。
最後に。私の意識の中で水輪のお庭を案内してくださったさおりさんは、なんとも清廉で美しい女性に成長されていらしたことを記しておきます。