水輪

いのちの森水輪の新着情報&ブログ

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10年ほど前、そちらに帯津先生のセミナーや、家族旅行で何度かお世話になりました。

水輪がずっと静かにそこに存在し続けていて下さる事は、私の心の大きな安心となっています。

というR.Oさんからのお手紙を頂き、40年前にこの飯綱に住んでから、もう亡くなったおじいちゃんとクマザサの根っこを「おたんぺ」というハサミで切って、畑を作ったり、家を建てるために、「樹を切って下さい」と大工さんから言われたけれど、どうしても樹がかわいそうで、大きな穴を掘って、樹を移し、ホッとしたことや、飯綱の仲間たちが若かった40年前に、道路を作りに来てくれて車いすで玄関まで通れた事や、山から切り出した木で暖炉の薪を作りに来てくれたりしたこと、仲間はよく集まり、笑い、踊り、料理をしたり、子供を見合ったり、沢から水を引いたり、おもちゃも手作りしたり、何かあれば助け合い、懐かしく、楽しかったなと、思い出されました。

喜多郎さんも、その当時からのお仲間の一人でした。大座法師池で毎年、和太鼓を打って下さったり、コンサートを開いてくれました。詩人のナナオ サカキさんや、写真家のトコちゃんや、シルクスクリーンの絵描きのみきおちゃん、ひらちゃん、沖縄の知念さん、当時はみんな30前後だったので、何でもやった。みんな今はもう70、80近くになって、心静かにきっと生きていると思う。一粒の種から花を咲かせて枯れ、実をこぼし、また芽を出し、花を咲かせ、実をつけ、自然に還っていく、時は巡り見果てぬ夢の旅を続ける。

きょう、R.Oさんから、「水輪がずっと静かにそこに存在して下さることは、私の心の大きな安心となっています。」というお言葉を頂いて、良かったなぁ、人生の原点はこれだなぁと新たな気持ちになりました。

どんな賛辞の言葉よりも、いただいたこのお言葉は、私たちがしゅくしゅく(粛々)と生きてきた証と感じていいのかもしれない。「ずっと静かにそこに存在することは安心となっています。」ありがたいお言葉を頂き、この言葉の中に全てがある様に思えました。

おひとりでずっと生きられている、まだお会いしていない、ずっと静かにそこに存在し続けて下さっている皆様と繋がる透明ないのちを感じています。

美しい氷の結晶もありがとうございます。