1 宇宙意識に目覚める
2 生かされているということ
3 心がどう感じるかを判断の基準とする―言葉にならない心の音を聴く
4 分離の時代の終わり
5 統合の時代に向けて
6 新時代と水輪という空間
7 自然から学ぶ
8 ホリスティック・メディテーション すべてが瞑想(気づき)であるということ
9 宇宙意識のネットワーク
10 21世紀に向けて水輪の果たす役割とビジョン
宇宙意識に目覚める
現代社会を生きる多くの人々は通常、社会の常識や理性にしたがって判断したり、分析したり、思考したりします。そして、主には個人や家族、その他自分を取り巻く一部の特定の人々との豊かさや幸福を追求しがちです。地球や宇宙、全人類のためを思って行動するということよりも、自分にとってどうであるのかを直接の動機として行動しています。これを個の意識と呼ぶことにします。
個の意識に対して、宇宙意識とは、その発想を逆転させる意識です。それは、個人の利益の追求、選択、理性的判断をこえたところにある、もっと大いなる意志のもとに、自らをゆだねる、という発想です。この意識は、顕在意識から来るものではなく、もっと深いところから来るもので、それゆえにもっとパワフルな意識です。この意識の源とは、心臓を動かしたり、呼吸をしたりしていることが自分の意志や選択を超えていることと同じです。一体何が私たちをそうさせているのか、個人の意志を超えて私たちを存在せしめているもの、大いなるものとしか言葉では表現できない意識のことです。
それは、誰もが持っています。ただ、この意識が顕在化される、すなわち、普通に生活していても、はっきり認識できるようになるためには多少の転換のプロセスが必要とされます。
個を超えた意識に目覚め、常にそれと共にあるとき、個人的な苦悩やネガティヴな思いは消滅します。そもそも人間の存在の本質とは、個人として他者とは無関係に存在する個人ではなく、宇宙という全体のつながりの中の個人にほかなりません。全てからつながりが無く、それ単独で存在するというものはなく、全てが相互依存性の中に相互自立性があり、それが存在しているということです。
このことを真に自覚しているならば、利己主義ということは生じません。利己主義に走ったならば、それは自己をも他者をも不幸へと導く結果を生むことが自明であるからです。
生かされているということ
全体の中の個人であること、生かされているということ、自分と全体との幸・不幸は一体であることなどを真に自覚しているならば、全体と個体との間のエネルギーがたいへんスムーズに流れている状態です。清流を思い描いてください。清らかな水は、それをせき止めるものが無ければ、滞ることなく清らかなままでどんどん流れてゆきます。しかし、何かが流れを妨げたならば、そこに澱みができ、そこに流れてくる水はどんなに清らかであっても必ず濁ってしまいます。
東洋医学では、身体をこのことに置き換え、つまり水の流れを気の流れにかえて病気というものをとらえますが、意識、心もまた同じです。己を優先させる考え、エゴというものが宇宙全体の意識の流れをせき止めます。全体から切り離され、利己的になることは澱みをつくることと同じです。
澱みの中の濁った水とは、ネガティヴな意識です。端的にいえば、ネガティヴな意識とは利己主義から生じるということです。そしてネガティヴ性は全ての病気の根源となります。
宇宙意識に目覚める、とは本来の心に立ち返るということです。本来の心とは明るくポジティヴであるということです。それは元気とは元の気、つまり本来の気とは決して病んでいるものではないことを意味することと同じです。心が本性、つまり全体の中の個人としての「私」であるのだ、ということを悟っているならば、心が病む、つまり私利私欲に走ったり、ネガティヴな思いに取りつかれることは本来ない、ということです。 宇宙と調和した、正しい意識を持っていれば、ネガティヴ性から解放されるのです。
心がどう感じるかを判断の基準とする―言葉にならない心の音を聴く
これまでの私たちの判断や行動の基準は何だったでしょうか。それは、社会常識や観念といった理性、つまり頭の中で理性に照らし合わせてどうであるのか、といったことでした。それが、現実性があるのか、とか利害関係はどうなるのか、といった物質的な観点からの判断も含まれます。
そういった基準からの判断をやめ、静かに瞑想し、その選択、判断を下すことで心が明るく、軽くなるのか、あるいは逆であるのか、心の反応を基準とする、ということです。
良いことをしたときに、心が明るくなることは子供も知っています。ハートは、宇宙意識に直結しています。誰もが正しい判断や答えをすでに知っているのです。正しいかどうかは、その選択によって全体がよい方向にゆくかどうか、ということです。心がいつも研ぎ澄まされていれば、心はすぐにそれに反応します。全体の幸福と個人の幸福が矛盾するということは、本来はないことなのです。
これまでは、ハートがどう感じようとも、理性の判断が優先されてきました。しかし、これからは、ハートは意思決定のセンサーです。選択の基準を頭脳(思考)からハートの感覚へと移行することにより、社会総体のネガティヴな意識は変革されるでしょう。
分離の時代の終わり
これまでの社会常識とはこの発想とは逆のものでした。すべては競争であり、正直者がばかを見、みんなのために働くことは損であるかのように考えられてきました。本音と建前があり、本音とは利己主義に他なりませんでした。しかし、この考え方は今日にいたって、限界が見えてきました。破滅寸前の地球の姿とはこのことの象徴です。全体をかえりみることなく、自分の利益だけを追及した結果、幸福になるどころか、存続すら危うくなってしまいました。
人々は今までの考えの誤りに気づきはじめ、競争ではなく、共に協力しあわなければ企業は存続しえなくなって参りました。今、社会でもっともポイントとなっていることは、共存、共栄、ネットワークなのです。今までは、個人が個人として分断され、分離の中を生きてきました。心がどう感じるかということよりも現実、物質的な現実、生産性、効率性などが重視されてきました。その結果、物質力は繁栄しましたが、人々の心は幸福にはなりませんでした。なぜなら、心の本質とは、深いところですべての存在はつながっている、つまり一なるもの(ワンネス・oneness)であるがゆえに、分離・分断を好まないからです。回りはお構いなしの、自分だけの幸福とはそもそもありえないことだからです。人間の心にとって、全くの孤立した個人であること、なんのきずなも確認できないことほど大きな苦痛はありません。回りの人間から拒絶されたとき、人間は死すらも選択します。人間存在の本質に反するからです。
統合の時代に向けて
しかし、これまでの、分離・分断の時代が間違っており、悪であったと言うことはできません。この宇宙の中に不必要なものは何一つ存在しないからです。分離することにより、専門化がすすみ、物事に対するミクロ的視野を深めることが出来ました。
また、心の成長ということに関していえば、分離・分断の時代とは、一つの試練の時代でもありました。 回りの環境が分離・分断であったとしても、常に心を見つめ存在の原点に帰ることを怠ることがなかったならば、必ず自らの心のうちに宇宙的なもの(偉大な愛の無限力)を内在させることが出来るでしょう。外側に永遠不変の安定を追い求めるよりも、自らのうちに確かな安らぎが内在していることを悟るでしょう。どんな環境の下にあっても、個を超えるもっと大きなものを信じ、離れることがなかったかどうかの試練の時代でもあったのです。
外側のものに心を奪われ、物質主義に走り、自らのうちにある大いなるものとのきずなを信じることが出来なかったならば、多いに苦悩する時代がやってきます。エイズを始めとする新種のウイルスの出現、天災、深刻な環境破壊や先の見えない経済など、社会不安の波が押し寄せてきています。そしてこれからは、宇宙のエネルギーが徐々に変化し、統合の時代に、向かってゆくでしょう。その前に、分離の時代の総決算として、浄化の時を迎えます。古い価値観は一掃されてゆくでしょう。浄化が終了して初めて新しいものに移行することが出来るからです。そして新しい時代は、光に満ちたものです。なぜなら心は統合してゆくときには喜びを感じるからです。
この意識から宇宙の意識にスムーズに転換できるかどうかは、その人がこれまで、どのような動機で生きてきたかにかかっています。一言でいえば、純粋であったかどうかということです。
外側のものに依存することなく、ハートを信じ、全体の幸福を想い、心を成長させてきたかどうかが問われます。けれど、宇宙は慈愛によって成立しています。現象的にはどのようなことが起ころうとも、すべては宇宙の進化の中で生じてきた必然性に他なりません。ハートを信じ、ゆだねきること、それがすべてです。
はじめ一つであったものがばらばらに別れて旅をしてまた一つに戻ってくる。それははじめの一つよりももっと偉大な一つ(oneness)を創る。
新時代と水輪という空間
意識変革とは宇宙意識を顕在化させることです。宇宙と人間の心が調和するということです。東洋医学では気の流れの停滞により病気になると考えられていますが、意識(心)も同じです。人間の意識が自己の利益のみを優先とすることが幸福につながるという思想を信じることによって宇宙と分断され、宇宙との調和が乱れ、ネガティブになります。しかし、共存の中にこそ幸福があるという宇宙の意識と調和することによって、ネガティヴ性は払拭されるのです。このことは、宗教でも哲学でもイデオロギーでもありません。健康であることが人間本来の姿であり、それを願うことが宗教や思想でないことと同じで、宇宙意識も人間が思考によって創りだした概念ではないからです。
宇宙意識とは、心の本性であり、誰もが内在させています。それに目覚めるために、誰かの教えに従う、とか何か特定のテクニックがあるというものではありません。けれどもそれに目覚める手掛かりとしての環境をつくりだしたり、支えあったりすることは可能なことです。なぜなら、意識は共振するからです。この意識に目覚める人たちが結びつけば結びつくだけ、強い意識の波動となり影響力を持つのです。今までの常識が一瞬にして変わることも可能です。
水輪は、第1にあらゆる分野で新しい意識の下に活動されてきた人々との出会いの場であり、ネットワークの基点です。また、それぞれが、宇宙と調和する意識を持ち、新しい意識に基づく医療、教育、文化、芸術、科学、経済、衣・食・住、等のライフスタイルを創造し、発信してゆく空間です。過渡期にあっては、宇宙と調和するライフスタイルを創造しながら、宇宙意識を顕在化させるプロセスを共にしてゆく空間でもあります。
自然から学ぶ
水輪は標高1千メートルにあります。この標高の波動は、ちょうど母の胎内と同じ環境であるといわれています。原初とのつながりを思い起こさせる癒しの波動に満たされています。また、水輪の建材はヒノキが中心に使われており、自然の気を人工物により遮断することなく室内でも体感できるようになっており、リラックスと瞑想には大変適した環境です。 静けさにも音があり、月の光りにも音があることなど、都会では忘れがちな感じる心を自然は呼び起こしてくれます。
自然は大きな癒しの力を持っています。また、様々な気づきを与え、宇宙という全体性を見せてくれます。宇宙意識とは自然の意識です。自然の波動を感じることによって、その意識を思い起こし、心はきっと何かを発見するでしょう。自然と共にあることが水輪の大きな原点です。
また、1千メートルという標高はハーブの生育に大変適しており、周囲はその宝庫です。ハーブの栽培や、ハーブを使った料理、その他植物や自然環境の持つ癒しの力と恩恵を最大限に活用してゆくこともこれからの課題です。これまでの食生活を見直し、質素であるけれども真に心と体を健康にしてくれる身近な野草や木の実などを活用していきたいと考えています。
ホリスティック・メディテーション ―すべてが瞑想(気づき)であるということ―
閑居し、瞑想し、托鉢し、修行に打ち込んでいればよかったという昔とは異なり、私たちのおかれている現代社会はあまりにも複雑な問題を抱えています。座って瞑想している一方で、その地盤である地球そのものの存続さえ危ぶまれているのが現実です。
また、いにしえの聖者の心洗われる言葉や生き方にふれて感動したとしても、私たちは人生の大半の時間を仕事に費やさなければなりません。会社に行ったとき、そこにはそこを動かしている論理があり、いわゆる高尚な教えとは異なる現実の世界です。心や人間の本質論を言っても、会社でそれは通らない、というのが現実です。
瞑想は、現実から遊離し、夢を見ることではありません。1日1時間、静かに座り、心を静めている時間よりも、後の23時間をどのように生きているかのほうが大きな問題です。静かに座っている自分、精神的な教えに触れているときの自分と、会社にいるときの自分、衣・食・住を営んでいるときの自分とは分離しがちです。高尚な教えに感動した次の瞬間、もう現実生活のことで誰かに腹を立てているということが起こりがちです。
あるいは、精神だけが瞑想していても、血液や肉体を作る水や食物についてはまったく無頓着であったとするなら、よい瞑想の結果が出せません。今日において、普段口にするものに全く無頓着であったならば、知らずしらずのうちに身体が蝕まれてゆくでしょう。また、ビジネスの世界で私利私欲だけを追及しながら、ポジティブな思考、明るい想念を持とうとすることなど本質的には不可能なことです。精神だけが高尚なものに触れたとしても、日常生活の中に根付かせることが出来なければ意味がありません。現代社会という環境の中では、両者の間に大きなギャップがあり大変に困難な状況です。
かつての禅寺のように、座っているだけでなく、仕事をすること、物事を生み出すこと、食べること、すべてを瞑想、つまり気づきにつなげてゆけるものとすることは出来ないでしょうか。
社会のみんなが豊かになるための生産物やサービスを提供してゆく中で、共に働くもの同士がお互いを高め、気づきを得、働くことによって個性が輝き、自分の中の偉大な無限の力に気付き、創造性を発揮し、心身共に豊かになってゆけるような職場をつくれないでしょうか。
もちろん、ひとりでそれを実践することは大変困難なことです。しかし、同じことを願う人々が集まって支えあってゆけば、少しずつそれは実現へと向かってゆくでしょう。
本当の瞑想、覚醒とは精神だけの話ではなく、生きているこの場所にそれを貫くことであると考えます。宇宙意識に本当に目覚めるということは、物心両面にわたるその意識を全体の進化と豊かさのために結晶化し、還元してゆける社会性のあるものでなけばなりません。
宇宙意識のネットワーク
自己の利益の追求のみを動機として提供される生産物やサービスと、他の幸福を動機として提供されるそれらとは自然に違いが生じてきます。宇宙意識の下に各界・各分野で活動を行ってこられた方々との衣・食・住・遊・死、医療(末期患者のターミナル・ケアを含む)、教育、文化、芸術、科学、ビジネス、政治、経済等のネットワークを構築し、本当に地球全体が豊かになってゆける社会システムの発信地の一つとなってゆけたらと考えます。
21世紀に向けて水輪の果たす役割とビジョン
20年前、重い障害を持つ娘の早穂理に与えられた苦悩を縁としてこの飯綱の地に自らの生活全てを瞑想として生きたいと思い、娘の名前をとってつけた「早穂理庵」。ここでの質素な生活空間に一人訪ね、二人訪ねして15年の歳月の中で作られてきた人々との語らいや学びを通して、私たちもまた多くの学びをさせていただいてきました。
この大自然の持つ癒しのエネルギーは私たちの今日を作ってくれました。そして多くの人々の癒しの場としての役割も果たさせて頂いてきたように思います。水輪はこの癒しと気づきを通して自己を深め、自己に気づき、自己に安らうことをめざして歩んできたように思います。
その中で医療、教育、文化、芸術、科学、産業、経済に至るまで、いかにホリスティックな発想と学びが大切であるかを感じてきました。
ホリスティックというと西洋に対して東洋的に見るというとらえ方をされている方もおりますが、ホリステッィクとは「全体的」「全宇宙的」という意味であり、あらゆる側面から見るというバランス感覚を持った見方であることを再認識したいものです。
確かに今の生活は西洋的、科学的、デジタル化といった面がすすんでおり、そのことによって人間のみならず全ての生物にとっても疎外感が否めません。
かといって西洋否定、科学否定、デジタル化の否定ではなく、東洋と西洋、科学と文化芸術・東洋哲学、アナログとデジタルとの融合と調和が課題となっているのです。
これらの問題点を突破する一つの方法としての科学の進化をあげることができます。医学においてもより研究が進めば、病気とはクスリによって治るのではなく、生物自身のもつ自己治癒力や免疫力が大きく関係していることが明らかになってきますし、また、その力も意識の持ちようによって大きく変わることも解ってきました。
一方携帯電話の普及と平行して伝書バトの行方不明の数が増え続け、渡り鳥の帰巣本能も変わりつつあることが報告されるなど、便利イコール健康・安全ではないことも明らかになりつつあります。
水輪ではこのホリスティックな視点に立った学びや啓蒙・教育やカウンセリングなどを行っていくとともに、自らの生活をもホリスティックなものとしていく具体的な展開をしていきたいと思っています。
まず、衣食住において直接の生産や目に見える形でのネットワーク作りも行っていくことも必要です。水輪会員の中にも農業や漁業、林業や建築、また被服関係の仕事をされている方々も多く、それぞれの情報を繋ぐシステムを現在研究しています。また、医療と教育に関する分野での展開も具体化していきたいと考えています。特に長期療養システムや青少年のカウンセリングステイの受け入れなどもスタッフ体制の確立と絡めてスタートします。
現在会員を中心としてこの活動の一端を担って戴ける方をホリスティック・フラクターとして参加を求めています。
ぜひ多くの方々のネットワークを通して水輪の理念とビジョンを理解して頂き21世紀を担う知的創造空間としての水輪(実践の場)を創っていけたらと思っております。
現在水輪の会には多くの医師の先生方に参画頂いておりますが、この医療の分野こそ人間における「生き死に」の問題に最も真剣に関わりを持つ分野であるからでもあります。
医療のみならず、教育・文化・芸術・科学・経済・農業・衣食住遊すべて同様に人間の苦と癒し、自己の成長と気づきを通して自己の確立をめざしていくのであろうと思います。
そして「生き死に」の問題を考える時、将来世代に対する継承性という視点がいかに大切なことであるかも現在の地球の現況を見れば明らかなことでありましょう。水輪の会員として、明るい地球の未来を共に創造していきたいと願っています。
公益財団法人いのちの森文化財団
水輪代表理事 塩沢みどり