北條真理様「戸隠の旅④ 水輪に泊まろう」
戸隠の旅④ 水輪に泊まろう
戸隠まで来たのですから、ゆっくりしようと思うと宿泊になるのですが、ここは「水輪(すいりん)」で決まりです。
いのちの森「水輪」は戸隠の手前の飯綱高原にあります。
中社から車だと20分弱ぐらいでしょうか。
私がここを知ったのは、友人が参加したリトリートの話を聞いたからです。
『とにかく広くて何十人、百人単位の人が宿泊して研修できるような施設がある。
個人の宿泊もできるし、研修会場としてグループで泊まったり、リトリートもできる。
農園で野菜を作っていて、身体にやさしい食事がすごく美味しい』
そのような話で、一度泊まってみたいなと初めて訪れた時、それは想像とはすこし違っていました。
実際に大勢が泊まれる設備も農園もあるのは、聞いていた通りです。
でも、そこは文字通り「いのちの森」だったのです……!!
誰もが自分のいのちと向き合うことのできる場所。
生きること。 どうやって生きるのかということ。
大勢の人たちが、さまざまな目的でやってきます。
自然の中で心身を休めたい人、開催されている講座に参加して自分を見つめ直したい人、 自然のやさしい食事を味わいたい人、さまざまな、時には重い病気を患って養生したい人。
そして私たちを受け入れてくれるのは、生きづらくて、学校や社会となじめず、生きることを学び直している研修生たちです。
ここは、いのちといのちが出会う場所。
いのちある者が他のいのちに触れることで、自分とつながって、振り返り、生きるということを考えずにはいられないでしょう。
初めて水輪を訪れたとき、すべてがやさしい天然木で作られた部屋でお茶をしたり、 農園のまわりをお散歩したり、2つのストーンサークルをめぐっていたりしました。
ここには「フラワー・オブ・ライフ」の著者であるドランヴァロ博士の作ったストーンサークルと、宇宙につながるダヌマールの螺旋石とがあります。
ストーンサークルは他に誰もいなければ自由に入れますが、ダヌマールの螺旋石の方は環境維持費の500円を支払って、 アクセス・キーを借りてから入ります。
どちらも初回は入り方のレクチャーを聞いてから利用しますが、どちらも神秘的で不思議な体験ができるので、水輪を訪れた際は入ってみることをオススメします。
そして日が暮れて夕飯の時間となり、調味料まで手作りの数々のやさしい料理に舌鼓を打っていると「すみません、今からスタッフの出しものがあるので見てもらえませんか」と声をかけられました。
私たちは「わかりました」と答えたものの、まだ食事が終わっていないこともあって、よくわからないけど付き合うか、という気持ちだったと思います。
10人程のお客さんが椅子を並べて座ると、その倍近くの数の研修生であるスタッフたちが私たちと対峙するように整列しました。研修生はおおよそ10代後半から30代前半といったところでしょうか。
彼らが、声をそろえて「アメージング・グレイス」を歌い始めました。
揃っていて、とてもひたむきで、うまい……。
でも、それだけではありません。
彼らの声が高まるにつれて、私の胸も高まりました。
そして、なぜだかわからないけれど、涙が出てきて、止まらなくなりました。
心がふるえる……。
彼らのまっすぐな、心の内側からあふれる歌声に、心がぶるぶると震えるのです。
そして、かけ声と共に太鼓の音が響き渡り、次に始まったのはソーラン節です。
え、え、え、何これ……。
目の前にいる十数人の若者たちが、命と情熱の限りをかけて踊っている。
その姿に心臓がぎゅっとつかまれたように熱くなって、目を逸らすことができません。
彼らの一挙手一投足が心を激しく打つのです。
私は彼らから迸る生きたエネルギーに釘付けになり……そして涙がとめどなく、流れ落ちました。
「感想をおねがいします」と言われて「感動しました。とてもすばらしいものを見せて
くださってありがとうございます」泣きながら言うのが精一杯でした。
そんな私に彼らは声を合わせて「ありがとうございます!」と言ってくれました。
いまを生きる。
これがこの、いのちの森「水輪」を貫く哲学です。
いま、ここだけに意識を向けて、目の前のことにすべてのエネルギーをそそぐこと。
最初スタッフに声をかけられたときは、私たちが「つきあってあげるか」という気分だったのに、実際は私たちの方が何倍もパワーをもらい、感動をもらい、多くのことに気づかされていました。
翌朝6時頃に目を醒ましてトイレへ行くと、階段を掃除している研修生の女の子がいました。
彼女はゲストを起こしてしまわないように、静かに、丁寧に、一段ずつ木の会談を雑布で拭いていました。いま、目の前のことに集中する姿に、心を打たれました。
ここで働く研修生たちは、生きることを学び直しています。
掃除すること、配膳すること、野菜を育てること、あいさつをすること。
そのすべてに対して、きちんと「いま、ここにいること」を実践しながら、おこないます。何かをしながら、考えながらではなく。
私たちの思考はすぐに過去や未来や異世界へと行ってしまいやすいですが、ここでは常に「いま、ここを生きる」
それは修業僧のような瞑想的な生き方であり、だからこそ彼らは本当に波動が高くて純粋です。そばにいるだけで、こちらまで浄化されるような気分になるのです。
ここで彼らが作っている野菜は、腐らずに、自然な形で枯れていきます。それも通常の野菜が腐っていくよりも、ずっとずっと長持ちするのです。
不思議なことに、水輪の野菜と野菜のあいだに、スーパーで買ってきた野菜をはさんでおくと、それまで一緒に腐らずに枯れていくようになります。
まるで、私たちが、純粋な誰かのそばにいることで、自身の純度が高くなっていくかのように。
現代社会では本当に実践するのがむずかしい「いまを生きる」という生き方。
ここに来て、彼らに触れると、自分自身の真実と否応なく向き合うことになるでしょう。
本当に戸隠は素敵な場所がいっぱいです。
年に一度は命の洗濯にまた訪れようと思うのです。
(https://number-nine.org/archives/485より引用させていただきました。)