水輪で学んでいること~M.S
自分はここへやってくる前は物書き――ジャンルとしてはファンタジーを専攻する小説家となって世に出る事を夢見ていました。本で人の心を温め、癒しを与える人になりたかったのです。そう思った理由としては後述が長くなりますが、共感出来る人を探そうとしたからです。
自分は小学生の頃にちらつき始めていたいじめを中学で本格的に味わった事で、人間というものに対して強い不信感を抱いてしまいました。高校も出来るだけ中学の同級生がいないような所に進学し、常在戦場な心持で一人孤独な灰色の青春時代を送ったのです。そんな過酷な現実を忘れさせてくれたのが図書館という場所であり、本でした。
本によって傷を癒した自分は次第に己も書く側の人間になろうと考えたのです。医学校を目指す勉強をする傍ら、小説の執筆をし、約七年間独学で構築していきました。
しかしその過程で実生活の面が非常におろそかなものになってしまうのです。食事は基本外食頼りで、栄養面を考えられていないファーストフードで腹を満たし、小説を書き出す為の思考する時間欲しさに昼夜逆転が日常となって、同時にほとんどインドアで過ごす“引きこもり”に等しい生活。仏教には焦種(しょうしゅ)という甘露を味わっても心も身体も満たされない鬼の存在が言及されていますが、自分は正しくそれと同等の存在でした。酒に酔ったが如く、快楽の中にいたのでした。運動もろくにしないため、おかげで体重は少なくとも140㎏以上になっており、間違えて足をひねるだけで軽く骨折し、無呼吸症候群で睡眠時に何時ぽっくり死ぬかもしれない危険性があるという爆弾を抱えた身体に成り果てていたのです。
母親は見るに見かねたのでしょう。ある時、自分に対して「貴方にとって良い場所がある」と言って、水輪へ連れて行き、二日目の昼に一人置き去りにしていきました、その顔に涙を浮かべて。この現実に自分は驚愕し、呆然とさせられました。そしてこの大善なる非情の行為を“姥捨て”と認識した自分は、母親に対して今まで抱いていた感謝と親愛の一切を憎悪に反転させてしまいました。母親を悪い意味で見返そうと、あまりよろしくない態度で実習に臨んでいき、その人生を棒に振る行為を約一年、続けてしまったのです。
ある時、その憎悪を見咎めて、みどり先生は母親から聞いた、自分の親が隠してきた真実を語ったのです。祖父の事、父親の本当の素顔、母親の苦労。それら全て自分は知らないものでした。その真実は自分の心にいた闇に一筋の光を差し込ませました。それを聞いた時、自分は何と愚かだったのだろうと感じたのです。そこからは心を入れ換え、物書きの夢を持ちながらも自立できるように日々の実習に取り組むようになったのです。(後にこの一連の流れを寸劇に仕立て、世界的なアーティスト・喜多郎氏の前で発表させてもらいました)
冬の時期は雪が多く積もります。自分の出身も東北にあり、同じように雪が降るので、自分は帰った後も動けるように活発的に雪かきに励んでいます。また、自分は他人が言った事を筆記する実習を行わせて頂いていますが、これが中々難しいもので、時折抜けがあったりとまだまだ改善の余地があり、日夜腕を磨かせてもらっています。
生活力、仕事力、人間力。この三本柱を築くために学ぶことは数えきれぬ程あると覚悟し、毎日を戦っています。特に生活面で自分はどうしようもなく劣っており、一から学び直す必要があると痛感し、毎日風呂掃除をさせて頂いています。生活の中に意味と価値もあるのだと気付く為に、感じ取る為に同じ事の繰り返しをしているのです。
これから掲げる展望としては、ここ水輪から書籍を出版する事を企てています。現在、自然農法に関しての小説を執筆しており、時間を見つけては書き出し、推敲を繰り返しています。自分が毎日学んでいることに足のついた実録を通して、現実の社会問題に対して考えてもらえるような一作になるように考案中です。世にある技術を説いたハウツー本とは異なり、子供や青少年らが手に取りやすい作品に仕立ててみようと思案しています。技術というやり方と、人間の在り方を統合した作品になるよう、実習から学び、気付きを取り入れています。
希望的な観測で将来を語るのは鬼が笑うかもしれません。しかし、楽観的に発想し、悲観的に計画し、そして、楽観的に実行する。そして潜在意識にまで表れるような強い意志を持ち続ければ、願いはかならず実現すると信じています。生活力、仕事力、人間力をつけ、まず自立して働ける人間となる事を目指します。そしてここを卒業したら、仲間や先生方に恥じないような作品を作っていきたいと思っています。それが現在、自分が抱いている目標です。
最後に一句、語る事で締めたいと思います。
永き夜 明けてみれば ああなんと 短いものだと 思い知らされ
水輪で学んでいる事~N.S
私が水輪を知るきっかけは、尊敬している方が開いたセミナーのブログでした。大切なセミナーを日本で開くなら水輪しかないと、絶賛している様子に興味を持ち、水輪を調べた所、社会で生き辛い若者のための「生き方と働き方学校」に出逢いました。私は、10代の頃から引きこもりがちで30歳を過ぎても状態を打破できず、行き詰まった人生を放棄していました。死ぬ事もできず、家族を苦しめる存在だったと思います。最後の望みとして家族から一切離れ、逃げる事の出来ない環境に身を置かないと救いは無い。切羽詰まった状態で水輪にやって来ました。
水輪では働く事への意識をポジティブなものへ転換していく重要性を学んでいます。行動の動機が恐れから来る時、させられている感、不満などが溜まり、実習の中の宝に気づけません。宝とは力を育てる機会に恵まれている事です。掃除にも野菜を育てる事にも調理にも、どんな仕事の中にも美しさを見出し、自分の働きによって世界を良くしていく事。今になりきり働く事で、心と体が一つになり確かな力をつけていく。
日々、共に過ごしている私達は良くも悪くも影響し合っています。だからこそ、自分の在り方に責任を持たなければいけません。しかし、それは重苦しい意味ではなく、自分を信頼し光を目指すという前向きな思いです。
水輪は特別な力に守られているフィールドであり、その中で学ぶ私達は必ず本当の自分に生き方にたどり着けます。
混沌とした時代の中、昨年から続くコロナ禍で、今水輪に集まった私達がいます。研先生、みどり先生は私達の真我を目覚めさせようと日々体当たりのご指導をされます。深い眠りから私達を起こすため、一見厳しいですが、惜しみなく力を注いで下さります。先生方からは使命を果たす生き方を学んでいます。
仲間からは、尊敬できる良い所を、改善してほしいと思う所は我が身を振り返る機会にさせていただいています。
そして、早穂理さんからは命を学んでいます。
愛によって早穂理さんは46年間生かされてきた、とみどり先生は仰られます。私達も皆、愛によって生かされてきました。愛に不可能はなく、人生への制限は意識の浅い部分でしてしまっただけです。「この命を最大限使いたい。」と、純粋に生きている早穂理さんをみると、私の奥底で訴えかけるものがあります。
私には沢山の課題がありますが、今、重要だと思うのは「考える力」をつける事です。水輪で過ごし1年経った今、もし、外の社会に出たら、私は自立していけるのだろうか?理性を持ち、正しい事をしていけるのだろうか?自分自身も水輪も良くなるような発想をし、行動に結びつける。次の一年はそこも努力したいと思います。私は、研修生、そしてスタッフを目指して精進していきます。
日々の実習で学んでいること~H.T
私は、日々の実習で常に考えています。その中で気づくことは多くあります。主に自分に足りないところ、特に利他の心に関するものです。ここ水輪には、それを気づかせてくれるきっかけが沢山あります。みどり先生のお話、井上先生のカウンセリング、そして、特に素晴らしいと思うのが水輪に長くいる実習生、研修生、スタッフの言動です。私を成長させてくれるのは、頭ごなしにこれはこうだという説諭ではなく、周囲のちょっとした言動です。周りがみな自己中心的な言動をしていれば、私も自己中心的になってしまう。逆に、利他の心に囲まれていれば、それに感動し自分を成長させてくれます。
私は高校を中退してから、周りに人がおらず孤立して生きてきました。その結果、悪い我を育んでしまい、自殺念慮にとりつかれ水輪へ来ました。水輪にきて約10か月、徐々にですが自分の心が開いていくのを感じます。人を疑ってばかりの人生でしたが、水輪には信用できる人が沢山います。人を疑うこと、そういう人たちに囲まれてしまうことが不幸であると今は思います。相手を信用することで(心を開くことで)素直になり、心が軽くなって、スムーズなコミュニケーションが徐々にできてきていると感じています。私はまだまだ未熟ものですが、みなからの信頼を厚くし、相手の心の負担を軽くすることで、周囲を幸せにできる存在になります。
水輪で学んでいる事~S.T
私は水輪に来るまで10年間売春をやっていました。そして、ある男にお金を騙し取られる体験をして来ました。それは寂しさから起こした行動だと思います。私は幼いころから親ではなく家政婦に育てられました。だから親の愛をあまりよく知りません。親からどういう愛情をもらってきたのかも覚えていないのです。そして体重はいつしか145kgまでになっていました。私は親の愛を知らない。その寂しさを埋めるために太ってしまった。こんな私でも私を抱いてくれる人がいるのだと思い、自分の孤独が癒されていったことを覚えています。水輪に来てからも盗んだり、嘘をつき続け、先生方やスタッフのみんなに迷惑を何回もかけてきました。「自分は何をやっているのかと」ずっと思っていました。
そしてある時、私は断食をしました。3年前の私は「何をやってもダメ。生きている意味なんてない」と思って断食をしました。その時の私の心の中は「もういいや。このまま死ねばいいや。やる気も起きないし、生きていてもどうせ親から見捨てられた身。私がいなくてもだれも悲しまない。」とネガティブにずっと考えていました。けど、断食の終わりの時に皆に本当の気持ち、自分の思っている気持ちを、「自分の壁を越える」という事を、勇気を出して言ってみました。そしたら皆分かってくれたみたいで、その後から自分の人生が「ガラ!!」と変わったように何事にも取り組んでいくことができました。私は今こう思っています。「自分が思っていることは勇気を出していってみる」。最初はみんな簡単に行かないかもしれないけど「きっと自分のことを話すことで相手も分かってくれる。自分も楽になる。」水輪4年目にしてそう思えるようになりました。
ここで学ばさせていただいて最近はポジティブに物事を考えられるようになってきました。そして、塩沢先生方がおっしゃっているように「今になりきる」「どんなことが起きても右往左往しない。真の自己を生きる」ということを学んでいます。まだまだ自己になりきれていない私はネガティブになることも少なくなりません。でも塩沢先生が」おっしゃられているように「苦しんでいる自分をもう一人の自分が観ている。辛いなと落ち込んでいる自分をもう一人の自分が観ている。」と教えて頂いています。
私は、これからも自己を深めていく必要があると思います。ぶれない自己を作り、社会に出ても同じことを起こさない覚悟を持ちます。
私が何年も売春をしていたことについて、井上先生やみどり先生のカウンセリングを何回も受けました。そして、そこで学んだことは、自分を大事にすること、本当の愛を知ること、一時の慰めで自分を安売りしないこと、真実の愛に目覚めること、一生学び続け成長していくこと、そして一番大切なことは自分の感じ方、考え方の大切さです。私は、これらのことを胸秘めて生きていきます。自分は自分の過去を話せるようになった事は、もう二度としない為にも、自分の事を隠さず堂々としていたいからです。ありがとうございました。
水輪での学び~A.Y
私は、水輪に来てから1年と8か月ほど経ちました。これまでファーム実習を中心とする生活を送ってきました。今では心身ともに調子がよく実習できています。とはいえ、水輪に来た当初は、うつ状態でとても苦しんでいました。この場所へ来た意味を見いだせず、本当に自分はよくなるだろうかという不安でいっぱいでした。初めは、主に掃除や事務作業を行っていたのですが、しばらくして畑の部署に異動になり、野菜作りに携わるようになりました。自分が全く興味のない農業をやるなんて…と思っていましたが、自分がよくなるためと思い、とりあえずやってみることにしました。しかし、状態の悪い私はよく実習中に止まってしまったり、担当したズッキーニの収穫でよくとり漏らしをしていました。大自然の素晴らしさを感じることもできませんでした。実習に身が入っていなかったと思います。しかしながら、続けていく中で変化が起き始めました。少しずつ野菜を収穫することに楽しみを覚えるようになり、苗が育つ過程や仲間と共に協力して実習を行うことに喜びを感じるようになっていきました。自然の美しさを感じるようにもなってきました。それとともに私自身の状態も上がっていき、自分本来の姿に近づいていきました。水輪で実習することの力を感じています。
ファーム実習では、命の尊さについて学ばせていただいています。播種をし、芽が出て苗にし、それを畑に定植して育てていきます。そして育った野菜を収穫して、お客様へお届けします。その過程の中で命が誕生することの喜び、それに対する感謝を感じています。野菜を育てると同時に自分の心を育てていただいているという思いがあります。発送で余った野菜は、私たちの食事に使われ、毎食いただいています。そういった中で、今まであまり感謝できていなかった食事をいただけることへの感謝を深く感じることができるようになりました。水輪で過ごしている時間は、人生の中でもとても濃密でかけがえのない時間であると感じています。仲間と寝食を共にし、それぞれの課題を乗り越えるべく切磋琢磨する。広大な畑があり毎日自然の中で体を動かせる。私たち課題を抱えている青少年に対して、命を懸けて指導してくださる塩澤先生方。このような施設は唯一無二かと思います。水輪では塩澤先生の経営のお師匠さんでもある京セラを創業された稲盛和夫氏の著書も教材として勉強会で使わせていただいています。その中で人生の目的とは人格の向上、魂を磨くこと、利他の心を持ち、世のため、人のために尽くすこととあります。私は今までこのようなことは意識して生きていなかったのでとても感銘を受けています。
水輪で学ぶ期間は基本的に3年間です。私は水輪の生き方働き方学校の理念である生活力、仕事力の向上、自立できる能力もつけ社会に旅立ちたいと考えています。そして社会生活の中で稲盛さんに教えていただいた人生の目的に向け精進したいと思います。私はここに来ることができてとても幸運であると思います。これから生きていく中でも忘れられない3年間になると思います。すべてに感謝し、日々の実習に向き合って前に進んでいきたいと思います。
水輪での学び~Y.S
初めまして。坂上善康と申します。水輪に来て約2年と6か月が経ちました。水輪に来る前の僕は、学生時代にいじめを受けて引きこもりをしていた経験があります。その原因で日々の生活が堕落してしまい、昼夜逆転の生活をしてしまったり、一般の同年代が働いている中も引きこもりが長引いてしまって、課題を持っています。ですが、ここ水輪に来てから私生活が正されて、早寝早起きという規律ある生活を先生方はじめ、スタッフ研修生・実習生のおかげで送ることができています。ここ水輪では、仕事を実習と呼んでおり、畑実習や館内実習や総務、厨房とありますが、その中で僕は畑実習を通して大きく生き抜く力、心の在り方、命の大切さを学んでいます。生き抜く力の中で、みどり先生もおっしゃられていますが、精神的自立、肉体的自立、経済的自立を日々学んでいるんだと思います。心の在り方としては僕は畑実習を通して正しいことは正しい、間違っていること位は間違っているとミーティングを開くなりして、お互いに自己を高めあっています。畑以外でも日々の勉強会を通して今ここ自己になりきる事であったり、稲盛和夫さんの教えである人生の結果=考え方×熱意×能力であったり、利他の心が大事だということを学んでいます。命の大切さとしては畑での種まき実習や定植、水やり、収穫などで野菜を慎重に扱っていくことを学んでいるのだと思います。僕は心の面では自立に向かって親離れを今もしています。何年も実習を淡々とこなす力もついてきています。そして成長できているんだと思っています。体力的な面でも今までは休憩をしないと動けないところを3年目になってからは、休憩がなくても動けるようになってきています。お米30kgを運ぶことも最初は大変で全然運ぶことができなかったんですが、今となってはその実習は必ず僕が入って任されるようになりました。少しずつ皆の力となって自給自足の畑のお野菜作りを頑張っている途中です。ここ最近の学びとしてはリーダー力をつけないと社会復帰は厳しいということで、リーダー研修を少しずつやっています。最初は、今僕が住まわせていただいている簡素の片づけリーダーであったり、掃除のリーダーです。そして、畑実習の雪中人参収穫やスイートコーンの片づけ、全部収穫、ビニールハウスの片づけなどでリーダーをやらせてもらうことがあります。ビニールハウスの片づけなどでリーダーをやらせてもらう事があります。卒業に向けて、僕の課題は、もっと率先してリーダー力をつけることと人が嫌がる仕事をもっと積極的に行う事。スピード意識を持つこと。もっと実習のスピードを上げることなどです。これからも社会で通用する力をどんどんつけていき、研一先生に時々教えて頂いている経営についても学んでいかないといけないと思っています。
水輪で学んでいる事~G.O
僕が水輪に来た当初は引きこもりでした。そのため、実習もまともに出来ない状態でした。そこから1ミリ1ミリずつ実習を行い、少しずつですが良くなってきた次第です。自分はまだ精神不安定で状態は良くないですが、それでも入所した頃よりかは良くなりました。今の目標は集中力を身につける事です。今の自分は中々集中する事が出来ずにいます。なので、昨日より少しでも集中できる、という事を目標に今を生きています。
水輪を通して学んでいること、自分がどう変わったか。~N.K
私は水輪での実習、仲間との関わり合いを通して歪んでしまった自分を見つめ直し少しずつ成長することができています。
水輪に来る前の自分は、自己中心的な考え方でわがままを突き通し、親に甘えて生きてきました。恵まれた環境で何一つ不自由なことはなく、それが当たり前となっていて幸せだと気付くことも感謝することもできませんでした。そんな中、自分の姿が醜いと思い込んでなにも出来なくなるという鬱状態、引きこもりとなってしまいました。
水輪に来てから私は「今に生きる」という言葉に出会いました。ここ水輪での一番大切な教えです。正直最初は全く意味が分からなかったです。しかし、とにかく毎日の実習を一生懸命にやり続けました。すると自然と自分の雑念に支配されることはなくなり病気はどんどんと良くなりました。目の前のことを淡々と一生懸命にやり続けること。これが今に生きることであり、他者のために生きるということに繋がるのだなと水輪での実習、生活を通して感じることができるようになりました。そして自分が歪みのある考え方をしてしまう病気になったのは、自分のことしか考えずに恵まれた環境にも感謝すらできなかったからであるとようやく気付きました。どんな実習でも感謝の心を持ってやらせていただく。これが本当に大切だと思います。私は今までの人生を自分がやりたいことだけ、嫌なことは嫌と避けてきました。しかし水輪へ来て、自分にとって苦手なこと、困難なことこそが大きな成長に繋がるのだと学んでいます。私は菓子工房というとても責任のあるお仕事をさせて頂いています。初めてのことばかりで失敗や上手くいかないことも多々あり、もうできないと投げ出したくなったり辞めたいと弱音を吐いてしまう時もありました。しかしそんな時に言われたのは、「出来ないなら尚更やりなさい」という言葉です。私はその言葉にハッと我に返り自分は辛いことからただ逃げていただけなんだと気づかされました。どんな状態でもやり続けるしかないと考え方を切り替えとにかくやり続けました。そして苦しい時を乗り越えると以前よりも強くなった自分、少し大きくなった自分に変わっていました。何よりもお客さまのために美味しいお菓子やパンを作ることができる喜びを心から感じ、いつの間にか辛かったことが楽しいという感情に変わっていました。投げ出さずに継続することが力になると身をもって体験することができました。
私のことを決して見放さず諦めずにいて下さった先生方には本当に感謝しています。厳しさという愛があったからこそ今の私がいると思います。
どんなことでも感謝の気持ちをもって折れずにやり続ける。それでこそ人は成長することができると色々な経験をさせて頂いて学んでいます。
まだまだ体験が必要な自分ですが、一日一日を大切にこれからも頑張っていきます。
水輪での学び~D.N
僕は強迫性障害と統合失調症のいろいろな症状がでていて、畑作業をしていくうちに病状が治っていくだろうと思ってここ水輪に入りました。
最初はコロナの影響で、入院していた病院から直接水輪が所有している建物「しゅり庵」に家族で4泊しました。それが家族団らんの最後の5日間で、とても楽しい時間でした。水輪に入所して、まだ15歳の僕は、周りが16歳と18歳、そして20歳前後の人たちでした。今思えば年上の先輩実習生の人たちだからこそ、お世話になることができました。そして1週間もしないうちに「もう帰りたい」と言って泣いていました。畑作業は難しくて時間が長く感じ、体力的に辛くてとても大変でした。薬の副作用もあり毎日が辛い中、ある日みどり先生が母屋での実習に変えてくれました。母屋実習は単純作業で当時の僕でもしっかり取り組めました。このままずっと母屋実習がいい。もう畑実習はいやだと当時はずっと思っていました。それでその後は館内の実習をしました。館内実習とは主に水輪が所有している建物の清掃や、ハーブ園での実習です。その後しばらくしてついに畑作業をやることになりました。しかし、思ったよりも苦にはならず、そのまま畑実習を続行することになりました。一番苦手だった実習、うね作りもできるようになり、ホッと一息ついた感じです。今は雪が積もっているので雪かきや豆選別などの実習をしており、畑はお休みです。
僕はここ水輪で働くとはどういうことなのかを日々学んでいる最中です。これから春になり、実習時間が段々増えてきますが、それでも畑実習をがんばって体力をつけて病気を治していきたいと思っています。
日々の実習で学んでいること。~T.M
初めまして。私はここ水輪で学んで3年が経ちます。その間、色々な実習をしてきました。お客様への給仕であったり、畑作業であったり。またここへ来て初めて見たような機械を動かすチャンスにも恵まれました。草刈り用の刈り払い機や除雪機などがそれで、使いようによっては危険な機械を扱わせて頂いたことは、私を信用して頂いた先生方やスタッフに感謝の気持ちがわいて来たのを覚えています。
それらの中で学んで来たことは、とにかく一生懸命やることです。たとえ片手間でできるようなことであってもそこに全神経を傾ける。全力を出す。そういった心構えが大切であるという、一見当たり前のことを学んで来たのです。
というのもここで私がまず言われたことが「そこそこの事はこなすがフィニッシュまで行かない」という命題であったからです。これは何事につけても自信のなかった私に勇気と
課題を与えてくれました。
そこからは試行錯誤の毎日でした。お客様の食事テーブルのセッティングを任されていましたが、終わったと思って見直してみるとあれが出てない、これが出てない。箸を置き忘れお客様にご指摘頂いたこともありました。他にもテーブルに醤油差しを置いたはいいが、中身がなかった時もありました。
お客様に料理のお皿をお出しする際も、最初は足がすくみ、厨房の前にあるカウンターからフロアの眺めがきつい下り坂のように錯覚するほどでした。というのも学生時代から引っ込み思案で、接客の仕事には苦手意識があったからです。実際に就いたアルバイト時代の失敗も尾を引いていました。コンビニではレジを二重に打ち込んでしまいましたし、派遣された家電量販店の店頭営業ではとにかく大きな声で呼び込みするばかりで知識が伴いませんでした。
一番大きな失敗はお酒の事です。特別なお客さまにサービスで出すお酒を選んで頂くのですが、候補のお酒すべてがテーブルに出ていることに無頓着であった結果、水輪に損害を与えてしまいました。
畑へ出ても挫折の連続でした。大きな失敗こそありませんでしたが、何事につけてもうまくいかない。作物を植える畝を作る作業では慣れない力仕事にへとへとになり、一つの畝を作るのにも早い人と比べて一時間遅れという事もありました。
もっとも畑作業は体を鍛える結果にもつながり、持病だった椎間板ヘルニアの痛みもある程度改善されました。これは100㎏に届かんばかりだった体重が一時70㎏台前半まで落ちて体の負担が減ったことも一つの要因かもしれません。
これら失敗たちは今では私の財産です。落ちた体重も、間違ってお出ししたお酒の空き瓶も、一つ一つが成長の思い出であると言えます。
そして今も、何事も一生懸命やる姿勢を通して、一から十まで貫徹し完成に至れるよう、精進の途中であります。
水輪の実習で学んでいること~Y.T
私は水輪に入所して4年4ヶ月が経ちます。私が入所するきっかけとなったのは職場のストレス等で精神的に病んでしまいました。その後、3ヶ月入院して、そのまま水輪に来ました。入所当初は何事にもやる気が起きず、毎日、辛い辛いと言って過ごしていました。また、歯科医師としての資格も持っていたので、ステータスを失い社会に対する絶望感に日々苦しんでいました。エリート意識も高く、「頭が良い事が偉い」というような間違った考えに支配されていました。
2年が過ぎたある頃、「みんな違ってみんな良い」というような感覚が、日々、動けない自分を支えてくれるみんなの姿を見ているうちに湧き上がり、その頃から差別的な考えが薄れてきたような気がします。
3年目になり、やっと動けるようになると、自分は今まで動けなかったにもかかわらず、今度は周りの動けない姿や、ルールを守らない姿に腹を立てるようになりました。また、自分の事に対して指摘を受けると、すぐ反発していました。それは躁状態の状態で、薬で鎮静するしかない状態でした。
4年目は3年目の反動か、また動けなくなってしまいました。しかし、動けない中で、自分の人との関わり方が近すぎる問題点、敬語丁寧語を使えない問題点、傲慢な点等を改めて考える良い機会になりました。
5年目になった今の自分の課題は、自己中心的に物事を考えてしまい、「アイツがああしたのが悪いんだから、ボクは悪くない」みたいな衝突が何回かあり、広い視野を持って話を聞き、「許してあげる」寛容さを身に着けなければならないことが、まず一つ目の課題です。昔から白黒勝手につけて行動する癖は、長年の垢であり人間関係を悪くする一番の原因だと思います。
二つ目の課題は、「何でも口出ししたがる」ところです。口出ししたことで話が円滑に進む事もありますが、「沈黙は金、雄弁は銀」というように、自分と関係ないことに関してまで口出ししてしまうこともあり、そのような時には「沈黙」しないといけないなと思います。また、人の話に割り込んで自分の話をしてしまったりしてしまう事は本当に良くない事なので直していかなければなりません。
三つ目の課題は、「相手との距離感が近すぎて、口のきき方や態度がわるい」ということです。本人は冗談のつもりで行っていることも相手にはそう伝わっているとは限らず、誠意にかけるため相手を不快にしかねないという点が非常に問題です。もう水輪生活も5年目に入り、人の入れ替わりもあったことで、自分も大分古株になってきてしまったのにもかかわらず、丁寧さに欠けた冗談ばかり言っている人間を誰が評価するかと思います。自分を小さくしているだけなので、今までの気持ちを新たにして人に丁寧に接するようにしたいと思います。
今後の目標としては、この「謙虚でない」性格をいかに「身をわきまえて」、「相手との距離感を保ち」日々生活していくかが目標となっていくと思います。
実践していくこととしては、「敬語、丁寧語を使う」「相手の名前を姓で『さん』づけで呼ぶ」「なにかあったときに『どうしてこのような事をしたのですか』とワンクッションおいて話をする」「『次回こうならないためにはどうしたら良いか』といった建設的な話し合いをする」などをやっていきたいと思います。ありがとうございました。
自分と向き合う~H.K
きれいごとを書いても始まらない。下手でも素直に書こうと思う。
今まで、これほどまでに自分の病気と真剣に向き合ったことはなかった。水輪に来て自分の病気の根本と向き合うことになった。自分の身体的な症状よりも、自分の意識・考え方のクセの方がより深く、根強く、治すことに本当に時間のかかる課題であることをここにきて気付いた。水輪での余計な物のないシンプルな生活の中で、日常生活では見えなかった自分の課題が浮き彫りになり、それに向き合うことになった。
自分がどうして病気になって苦しいのか、受け入れることが難しいのか。それは自分が病気に対して差別意識を持っていたためだ。自分はそうはなりたくないと必死にもがいて何年も過ごしてしまった。学歴社会の競争の中で染みついてしまった間違った優越意識とプライドは本当に根深い心の問題である。そして、それは他者との関わりの中で人の好き嫌い、差別へと繋がっていたことにここに来て気付くことが出来た。自分の醜い心と向き合い、人間存在への理解に立ち戻らなければいけないと思っている。
自分の極端な考え方も浮き彫りになった。様々なところでしっぽを出す自分の歪んだ考え方はこれまで自分を苦しめ続け、病気を悪化させていた。その一つ一つを指摘して下さり、自分はやっと気付くことが出来た。
大学生になっても、家の手伝いもせず、バイトもせず、忙しい事を理由に嫌なことを避け続けて、勉強に逃げ込んできた自分にとっては、水輪での生活はどれも学ぶ事が本当にたくさんある。
一つは意識。例えば、雪かき一つするにしても意識の持ち様で全く異なることに最近気づいた。雪かきは単調である。雪をかくだけ。次の日になればまた積もっている。しかし、自分の心を磨くつもりでひとかき、ひとかきしていると、ふとした瞬間何となく心が静かになる。手を止めて見上げると白樺の細い枝が風に揺れている。遠くで鳥が鳴いている。それだけでも幸せだと感じた瞬間があった。みんなが通る道だということを意識すると自然と力が出る。そんなナチュラルな感覚があった。
そして、ありがたさ。恵まれた環境で育った自分は一つ一つのことにありがたさを感じたことがなかった。食べ物があること、食べれる事、動ける事、、、様々な当たりまえは、実は当たり前ではない。様々な人の力によって支えられている。そう気付かされた時、自然と感謝の思いが湧いてきた。
これからもみどり先生、研先生、みどり先生、水輪の皆さんの力をかりて、そして自分の生命力を信じて、水輪での学びを深めていきたい。