水輪

ドランヴァロ・ストーンサークル

日本の古神道のつながりを復活させるサークル

世界12箇所に作られた平和と祈りのサークル。ドランヴァロ・メルキゼデク博士(フラワーオブライフ著者)により、イヌイット、ネイティブアメリカン、日本の古神道のつながりを復活させるサークルとして、約70名の外国人参加者により、1996年いのちの森「水輪」に作られました。
ドランバロ博士によればネイティブインディアンの言い伝えとして「世界12カ所にこのストーンサークルを作りなさい」というメッセージがあり、日本では長野県の戸隠地籍にこの聖なる場所があるはずだと言うハワイに住むリチャード氏からの示唆により水輪で7日間宿泊し、毎日戸隠に出かけ場所探しをされました。
おりしも私の一人娘の早穂理はドランバロ博士がくる1か月前から重篤な肺炎に罹り長野日赤に入院しており、私たち家族は水輪にはおらず、水輪の会員たちによってドランバロ博士一行の接待をしていました。
一行はアメリカから35人、日本のサポーターが35人と全員で70名という大所帯でした。ドランバロ一行は毎日お弁当をもって戸隠へ場所探しに行ったのですが、東西南北の精霊とは交信できるのですが天地の精霊とは繋がらないということで、7日目になって戸隠ではないのではないかということで明日には帰国しようという話になったところ、参加者の一人が「水輪の庭でやってみよう」と提案したところから、この中庭で儀式を始めたのです。
全ての精霊と繋がったということで長野日赤に電話があり「どうしても帰ってきてほしい」との依頼がありましたが早穂理はすでに数時間の命だと医師には宣告されており、断ったのですが30分ほどして再び電話があり、ほんの少しの時間で良いので帰ってきてほしいとの強い依頼がありました。
私が帰ってくると水輪のホールの「まほろば」で皆が待っており、私がなぜ帰ってこなければならないのかとの質問に対し「このストーンサークルの儀式が完了するとあなたたちの将来に重大な事が起こってくるので直接許可を頂かないとこれから先の儀式が進められません」との話でした。
この重大な事とは次のような話でした。
「このサークルが出来てしまうと、ここ水輪には魂の清らかな人しか来られなくなってしまいます。
お金がたくさん入ってくることはありません。それでも許可をして頂けるようなら作らせて下さい」と言われたのです。
私たちはもともとお金儲けをしたくて飯綱に来たわけではなく、自分たちの人格や心を高めようと思ってきたわけですので、心よく承諾したのです。
それから10年過ぎ全世界に12カ所のサークルを作り終えてアメリカで報告会を開いた時に日本の戸隠に作ったサークルが最もエネルギーの高いものであるとの話をされましたが、ここは戸隠ではなく飯綱なのに…と少々心に引っ掛かるものがあったのです。
ところが2010年に戸隠の神主である宮澤氏に聞いたところ、江戸期までは水輪の場所は戸隠地籍であったとのこと、
七曲を上がったところにある飯綱神社総社の神主である仁科氏が時の幕府の家老をしていた松代藩の真田氏と佐久間象山を使って戸隠神社から飯綱神社のものにしてしまったので飯綱という地名になってしまったけれど、もともとは戸隠地籍なのでドランバロ博士の言っているように戸隠に作ったということで正しいとの話でした。
このドランバロ博士がくる1年前にホピ族の酋長のグレッグさんが映画監督の宮田雪氏と、ここ水輪を訪ねてこられました。
私が隣の農地の話をしたところ「本当に清い思いでこの農地を必要としているなら、その願いがかなうというホピに伝わる「太陽の儀式」というものがあるので、あす朝一番で日の出と共にやりましょう」と提案してくれました。翌朝3月15日、日の出とともに15人程の参加者で、まだ雪が60センチほど残っている農地の真ん中でこの太陽の儀式が行われました。
それから10年して6億円で売られてしまった5町歩の農地が取得できたのです。
このストーンサークルが出来てから水輪では様々な出来事が起こり現在の様な当時では考えもつかなかったことがたくさん起こってきました。
ドランバロの作ったサークルは無料です。インディゴブルーのオーラが充満しており、もののけ姫に出てくる「こだま」が密集しています。
入り方はサークルの東側の外に立ち東の精霊に対してこれからサークルに入る許可をもらい、サークルの南側の中に右足から入ります。南、西、北にそれぞれ石をまたぐかっこでそれぞれの精霊に挨拶し、最後に真ん中の石に額を付けてから天地の精霊に向かって祈り(願い事)再び東側から右足で外に出て振り返り、御礼の挨拶をします。
願い事がかなうサークルだそうです。
※ご宿泊の方以外のご見学は受付けておりませんので、予めご了承ください。館内見学・畑見学なども、ご宿泊された方のみに限ります。日帰りの方のご見学は受付けておりません。

塩澤研一