水輪

早穂理。ひとしずくの愛

感想文

2020.11.12 H.Kさん
自分は水輪に来て間もないが、「山の中で自分たちの原点に戻った生活をしたい」という一節が、現在の水輪にしっかりと残っていると感じた。食事をすること、自ら働き、食べる物を作ること。そうすることで感謝の気持ちが生まれて来るのだろうと感じた。苦しさの中に人間として出てくる、「魔」と母としての愛が現れ、その「二面性の境地にたどりついたからこそ、禅へとつながり、現在のすべてを見通すようなみどり先生の言葉では表現できないような人格ができていったのではないかと感じた。まだ水輪にきて間もないが、水輪の原点をしっかりと身にしみさせて、これからの実習に取り組んでいきたい。

2020.11.12 N.Iさん
苦しくて苦しくて、もがき続けた日々の中でみどり先生がたどりついた境地は、あるがまま、なすがままに存在すること。それこそがみどり先生のたどりついた答え。たどりついた先にあったものは禅であった。禅になり、今私たちはみどり先生の無の境地、禅による悟りをここで学ばせていただき、ぶれることにない自己をつくることを深めていかなければならないと感じました。
自分の子に手をかける、いきる苦しさ、生きる喜び、これら全てがさおりさんとみどり先生からどれだけ私たちは学ぶことができるだろうか。やはり、本気で実習することから一歩一歩はじめたいと思いました。

2020.12.5 A.Iさん
早穂理さんの目玉が飛び出した件を読み、そのような切羽詰った状況で冷静に対処できるというのは、座禅等を通し心を深めているからなのか、と感心しました。みどり先生研先生の馴れ初めを読み研先生の直感力やその思いの強さに驚きました。「使命を果たす答えを持っている人」と研先生が感じた答えは何だったのだろうと考えさせられました。

2020.12.5 T.Sさん
今回は研先生とみどり先生の出会いについての話を読ませて頂きました。研先生がみどり先生に初めて会った時、ただ容姿が良いから好きになったとかではなく、「人の使命」の答えを求めてみどり先生に惹かれたという内容はとてもスピリチュアルなものを感じました。そして二人は結ばれ早穂理さんを中心に今も大きな流れ、人が動いています。その中で自分自身はその流れのちっぽけな1人かもしれない、しかし、ちっぽけでも強い意志を持って事に当たれば、結果が成功でも失敗でも自分の大きな糧になるのは確かなので日々精進していきたいと思いました。

2020.12.5 H.Kさん
早穂理さんの眼球を見た瞬間から右目に戻すみどり先生の行動、その後、車を運転し病院に辿り着くまでの心の動き、全てが今のみどり先生の一部となって、この出来事がみどり先生の中で生きていると感じました。禅による意識の覚醒はどの様な事が起ころうとも、心の奥の深いところで「しん」と静まっていて冷静すぎるほどの行動がとれる。まさに禅極意であり、これを私達は学ばせて頂いていることの感謝を再確認しました。みどり先生と研先生の出会いは必然であり、大いなる宇宙の意志により、早穂理さんがこの世に生を受けたのだと思いました。出会いから早穂理さんとの生活の中で、この世で生きる苦しみ悲しみ喜びの全てを。その一瞬一瞬を懸命に生き抜くことで苦しみ悲しみ喜びの出来事の意味と向かい合わされて来られたのだと思いました。今、水輪の存在する意味。原点。3人で生きてこられた道を水輪の中心にこれからも生きていく。後世に続く道を、私は日々に真向かう事で繋げていくことを使命としたいと思います。

2020.12.5 H.Tさん
文章を読み進めていくうちに、段々と引き込まれていく感じがしました。感情移入のできる内容で久しぶりに小説を読んだ気になりました。眼球をもとに戻した話はインパクトがありました。人生のパズルの章は、考えさせられる内容でした。自分の人生を振り返ってみると、不毛な苦しみだったと思えることが多々あります。不毛な苦しみは今も続いている気もしますが、ここ水輪でリセットできるといいです。

2020.12.5 N.Sさん
研先生みどり先生の子供の頃の情景が鮮やかに伝わってきました。皆に、生まれてから今までの長い人生の歴史、様々な感情・出来事・風景があって縁があるから、その人に出逢えた。出逢いの奇跡に改めて感謝させられました。そして、他者はそれだけ尊い存在なのだと思い出しました。

2020.12.5 Y.Aさん
人間の使命というところで研先生は叔母さんから、キリスト教的な道徳観や宗教観を教えられ「人が生まれてくるという事は、何らかの使命がある」という考えを抱くようになったとあります。私にも、何らかの使命があるのかもしれませんが、今は、自分の課題を乗り越える事で頭がいっぱいです。しかし、その課題を越えた先に、何かやるべきことが目の前に現れてくるのではないかと思いました。また、私自身のこれまでを振り返ってみて、苦しみや辛いことがたくさんありましたが、それらを必ず喜びに繋げられるように努力し、自分の人生のパズルの完成を目指したいと思いました。

2020.12.5 W.Cさん
若い研先生が感じていた使命、みどり先生との出会いは、今、この時代を乗り越えていくためのものだったのかと思いました。人生で起こることは、全てがぶれない自己を完成させるために、起こるべくして起こる大切な出来事なのだと思いました。

2020.12.5 T.Oさん
早穂理さんが自身の眼球をえぐり出してしまった話は、何度読んでも衝撃的な映像が頭の中に浮かんで来るようで、ハラハラ、ドキドキさせられてしまいます。そんな壮絶な経験をする前の研先生とみどり先生の出逢いの話には、不思議な運命があり、それが現在の水輪に繋がっているのだと思うと、私達が今ここにいるという事が何らかの大きな意味があるのかもしれないと感じさせられます。私達が自分の課題を乗り越えるためにここにいるのだとしたら、その課題を乗り越える事自体に大きな意味があるのかもしれないと思いました。

2020.12.5 N.Sさん
研先生、みどり先生は、早穂理さんを産むために学生結婚をしたのだと私は思います。早穂理さんがいなかったら、ここ水輪は出来ていなかったと思いました。

2020.12.5 Y.Kさん
素晴らしく運命的な先生方の出逢いから、結婚されるまでの様子が書かれています。お二人方の純真な愛の波動が文章の中から溢れてきます。お互いに相手を想い生命を輝かせるようです。このような真の愛の心というのは中々感じられないものだと思います。温かい気持ちになりました。ありがとうございます。

2020.12.5 T.Mさん
自分の眼球をえぐり出してしまう程のことがあったにもかかわらず、今現在、元気な姿を見せてくれている早穂理さんに、人間の生命力の凄さを感じました。自分は早穂理さんケアに入った事はありませんが、そのような生命力が故に、水輪の中心たり得ているのかなと思いました。

2020.12.5 S.Tさん
私も時々「何のために生まれて来たのだろう」と思う時があります。けれど、それは自分の使命を果たすためだと思っています。よく、みどり先生、研先生が「自分の命は何のために使うのか」と言いますが、私は「人のために使うのかな?」と思うときがあります。早穂理さんがこの世に生まれて来たのも「世のため人のため」に元気を与えるためだと思います。これからも早穂理さんは皆に元気を与えてほしいと思いました。

2020.12.6 A.Tさん
物語が進むと共に深くなっていくみどり先生。幾度の悲しい想い、苦しい想い、どれ程の事を感じて、体験してこられたのだろう。私には計り知れない。みどり先生の体験があって今がある。ただただ、深くなりたいと思った。何事にも動じないみどり先生、何事にも囚われないみどり先生、強い芯を持っているみどり先生、深い愛を持っているみどり先生。全ては早穂理さんから始まった。早穂理さんは今やみんなの女神、天使のようだが、早穂理さんを天使にしたのはみどり先生の考え方と感じ方がと思いました。この縁を私は絶対に手放してはいけない。私は今、人生の重大な時、所に居るんだなと感じています。今、学ぶことを真剣に学びたいと思います。

2020.12.6 S.Tさん
今回のこの本の中には、いつも、みどり先生、研先生が言っている「心の持ち方」「全ては自分の心が作っている」と書かれていますが、たしかに心がネガティブな事を思っていると暗い気持ちになり、心がポジティブだと明るい気持ちになります。そして、「全ては自分の心が作っている」と書いてある様に、辛い心、憎しみの心、誰かを恨む心、そこで「あ、もう自分は駄目なんだ」と諦めてしまう心、そんな心があると人は成長しないのだと思います。みどり先生や研先生は何度も挫折の体験をしてきて、尚且、世間の人からも色々な事を言われ、凄い心が痛かったと思います。けれど、その体験を3人で乗り越えて来たからこそ、今の水輪、みどり先生、研先生、早穂理さんがいるのだと思います。早穂理さんにはずっと元気でいてほしいし、みどり先生、研先生にもこの先ずっと元気でいてほしいと思いました。私達も辛いこと、諦めたいこともあると思いますが、そこを水輪の皆、みどり先生、研先生と一緒に諦めずに生活していきたいと思いました。みどり先生、研先生、早穂理さん、本当に水輪を作ってくれて、私達を育ててくれてありがとうございます。

2020.12.6 H.Tさん
早穂理さんのお世話をするみどり先生の姿を想像しました。障害を持った子の母親の気持ちを少し感じられたと思います。僕の両親も同じ気持ちなのだろうと連想しました。そう思うと居ても立っても居られない気持ちになります。早く自立しなければ、親に迷惑をかけないようにしなければ。

2020.12.6 T.Oさん
早穂理庵が出来たきっかけは不思議な縁によって出来たということが、この場所の意味を教えてくれていると感じます。水輪は人が場所を作ったというよりも、場所が人の集まりを作ったということが言えると思います。意図したものではなく、必然的に作られてきたということが、老師の「将来必ず何か大事な道場に近いものが出来る」という言葉に表れていると思います。ということは、私達自身も「必然的に出会った」と言えるのかもしれません。

2020.12.6 A.Yさん
今回「早穂理。ひとしずくの愛」を読んでみて、飯綱の土地が手に入って早穂理庵ができた経緯や活禅寺の老師が言った「この土地には凄いものがある。特別な気を持っている。」という部分を読んで、課題を抱えた私がこの場所に来て、人生を再スタートさせるチャンスを頂いている事は運命であると感じました。みどり先生、研先生、早穂理さんが歴史を重ね、命を懸けて作り上げてきた、この水輪で実習に向かっていけば必ず自分の人生を切り開けるのではないか、と思いました。早穂理さんがいなかったら、この場所はなく、私は人生に迷ったまま終えていただろうと思います。感謝の気持をもって、この水輪での生活を過ごしていきます。

2020.12.6 T.Mさん
早穂理さんの小さい頃、お気に入りの玩具が数珠だったと聞いて、「なるほどなぁ」という印象を受けました。神仏への礼儀をわきまえている、とありますが、何か不思議なものを持って産まれて来たのかもしれません。現在は、たまにハープをかき鳴らす音がマンブルごしに聞こえてくることがありますが、それすらも何か不思議な音色に聞こえます。
これからも早穂理さんには元気でいて頂きたいと思います。

2020.12.6 K.Tさん
P84の「真実を見つめ、互いに生き方を指し示していくこと」この言葉が真っ先に目に飛び込んできた。いのちの森の根底にはやはり禅が横たわっていると感じた。みどり先生、研先生、早穂理さんが歩んでこられた道程は、まさに、この言葉そのものではないかと、そして、座禅というものは、真実を見つめる事、そして、生き方を指し示すことではないかと。今のメンバー達にも座禅で生き方を指し示したいと思った。

2020.12.6 T.Sさん
活禅寺の老師の「この土地には特別な『気』がある」という言葉に、本当にここ水輪にはパワースポットがあると思いました。それだけでなく、多くの人も集まって来ます。喜多郎さん、ジャネットさん、ユール洋子さん、を始め、色んな人が水輪を訪れサポートしてくださいます。そして、常に広がる人の輪の中心には必ず早穂理さんがいます。それはやはり、早穂理さんをきっかけに人生が大きく変わった人間です。早穂理さんの食事作りの補佐に何度か入ったことがありますが、不思議な事にこの時私は、心を無に、そして前向きになれる所がありました。ここだけでも、早穂理さんとの関わりを持つ事は、己の負の心を無にする神聖な物があると強く感じました。

2020.12.6 N.Sさん
起こった出来事に意味を付けて感情で反応してしまうのは何故だろう、と私も思います。自分にとって損に思える出来事があればネガティブな感情が沸き、相手がいれば攻撃的な行動に出てしまう。何度も同じような事がある度反省するのですが、根っこの部分で自分が正しい、我を失いたくない、自己保身に走る。という信念に縛られています。これからの生活や人間関係の中で、そういう部分を手放す事が、私にも皆にも求められているのだと思いました。

2020.12.6 C.Wさん
座禅堂で救いを求めた答えを、何度も早穂理さんが排泄物まみれになる事を通して、みどり先生に教えてくれたのだと思いました。全ては自分の心が作っている、という事がいくら頭で分かっていても、感情に巻き込まれる自分でいる限りは、本当の事は分からないのだと思います。そこから離れ、客観視して見えた事は、早穂理さんからの贈り物の様に感じました。

2020.12.6 Y.Kさん
早穂理さんが自らの排泄物で体を汚してしまうお話と、みどり先生の心の動きが書かれている所です。私達も、日々の生活の中で起こった事を引き摺り、心を苦しめています。今に生きられたなら現象は現象のままであり、それ以上の繋がりはありません。私達の心が現象から、他の出来事へと接げて感情を動かすのだと思います。水輪での学びの根底にある「今に生きる」という心であれたなら、私達の人生はどれだけ明るく輝いたものになるのだろうと思います。日々自らの感情に引っ張られない練習です。

2020.12.6 R.Sさん
みどり先生は不幸に見える現実の中で、自分の心を見つめ、心を見つめ、心を深め強くしていかれた。私の日々の実習の中で一番足りていない姿勢であると思いました。感情に囚われている自分を、一歩引いた目で冷静に見る、という事の大切さを学びました。心を深く知っていきたいと思います。

2020.12.6 N.Kさん
出口のない人生という想いが早穂理ちゃんによって何度も込み上げたというみどり先生。その苦しみは私達には計り知れないだろう。でも、今のみどり先生は早穂理ちゃんによって、とても強く、とても優しく、とても美しく、時に厳しい心を持ち、私達と生き抜いて下さっている。昔抱いた「悲しいまんま」の心を深い境地を経て、解明することが出来たのだなと思いました。早穂理ちゃんあってこその先生方であり、先生方あってこその早穂理ちゃんの存在であると改めて感じました。

2020.12.6 N.Sさん
昔と現在とでは大きく変わったなと思いました。親はどう思っているだろう。昔と今どういう風に変わったかを。みどり先生、研先生は早穂理さんを産んで本当に幸せだと感じました。

2021.1.13 A.Nさん
P.204の「水輪の瞑想室で、パラリンピックで歌う『上を向いて歩こう』が初披露されたのである。」この文章を読んだ瞬間、鳥肌が立った。スーザンが歌う瞬間を目にした方々もこんな感じだったのかな?と思った。みどり先生はスーザンとの出会いによって癒されたと記してあった。そして、その想いを組織委員会の人に伝えたのだ。みどり先生は何かを感じ取る事に敏感な気がした。

2021.1.13 S.Tさん
今回のこの本で一番心に残ったのは「呼吸になり切る」という事と「人を愛する」という事でした。私は何かの癒しを心のどこかで求めていたのかもしれません。しかし、癒しは求める物ではなく自分で作るもの何だと思いました。「自然を愛する人を愛する」その事をやっていけば、そのうち「自分が自分を癒す」事に気づくと思います。

2021.1.13  Y.Kさん
今回読んだ所はワーキング&スタディの始まった経緯の書いてある所でした。日々の中の作務を通して、地に足の着いた学びをする事だと思いました。水輪での生活は現実的な学びを深める場だと思います。改めてその事を学びに来たのだと再認識する事が出来ました。

2021.1.13 T.Mさん
みどり先生がヒーリングで被験者の悪い所に影響を受けてしまうという所を読んで、そういった事もあるのだなと思いました。相手への偏見から自分にも跳ね返ってくるというのは、「病は気から」という諺を思い出しました。みどり先生が自分を「天からの愛を人に渡す道具」と気付いたのは、ある種の悟りを思い起こすシーンだったと思います。

2021.1.13 A.Yさん
今回、「早穂理。ひとしずくの愛」を読んでみて印象に残ったのは、生きた禅という所です。じっと座って内観するというのは禅の一面に過ぎず、瞬間瞬間に命を輝かせて生きるというのが本当の禅である、とあります。日々の実習の中で、「今ここ自己」になり切り、自分の魂と一体になり続けてやっていく事が、最高のヒーリングになるのだと思いました。自分を良くするのは自分自身の意識だと改めて思いました。

2021.1.13 R.Sさん
この本を読むたび、みどり先生研先生は何と感情豊かで学びのいある生き方をしているのだろうと思います。自分も学びある生きがいのある人生にしたいと思います。まずはひとつひとつ心を込めて生きられるようになる事を目標としたいと思います。ありがとうございました。

2021.1.13 T.Sさん
スーザンさんの「ボイス・セミナー」で己の内からわき起こってくる真実の音に興味を持ちました。深い呼吸、まずため息から入ってためてきたネガティブな感情を吐き出す。それの繰り返しで体の浄化が起こり、自然な声が出せる。その自然な音が出せる呼吸が人の本来あるべき呼吸と感じました。

2021.1.13 H.Kさん
水輪でやっているワーク・アンド・スタディの原点を知ることができた。大もとにあるのは体であるということ。毎日を過ごしていると表面的なやることや時間制限にとらわれがちになり、追いこまれているように感じる自分に気付いた。本来は一つ一つのことになりきること、日常生活の一つ一つを集中してやることと、リラックスの切りかえを学ぶという大々目的を改めて思い出した。もう一度、日々の実習へのとりくみ方を見直そうと思った。良い気付きができたと思う。

2021.1.13 K.Tさん
まだ、オアシスが出来たばかりの頃は、スーザンのセミナーが開かれていて、夕食後オアシス片付けをしていると、スーザンはパノラマから厨房のカウンターまでやって来て、片付けしてるメンバーにスーザンは「ミナサン、アリガトゴザイマース」と手を合わせ、片づけをしている間中歌ってくれたことがあります。今日はそれを思い出しました。アメイジンググレイスも歌ってくれました。スーザンの歌はうまいという言葉では表現できない程に、音の響きが澄んでいて、そして彼女のかざらない人間性に感銘を受けたことを覚えていまVす。

2021.1.13 Y.Sさん
生きた禅が一番印象に残りました。働きながら地に足をつけることを学ぶ事が勉強になりました。さまざまな実習をこれからも大事にしていきたいです。

2021.1.13 M.Sさん
スーザン・オズボーン女史との出会いに関しては、以前に研先生やみどり先生の話で聞いていましたが、話を聞く度に、自分は何故この人の歌を一つでも聞いていなかったんだろうと思いました。自分は歌う事が好きな人間です。プロ程ではありませんが、皆と笑顔になれるような歌声を出せていると思います。しかし、真に誰かの為に心を込めて歌った事はあまり無かったかもしれないと感じました。いつか共にこの人生を歩みたいと思えた人と出会えた時に、自分の一番好きな歌「Listening to you」送れるように歌う事が出来るようになりたいと思った限りです。

2021.1.15 H.Kさん
さおりさんの闘病生活を読んで、命の力、生命力を感じた。どんな状態にあっても、絶望的な状態になっても、直る、直すと思うこと、そういった研先生、みどり先生の思いがつたわったのだろうと感じた。その思いが実際にかん病の中に表れたのではないかと感じた。自分もそういった自分の思い、考え方に注意を向けて日々の実習にとりくんでいきたい。

2021.1.15 N.Sさん
気管切開の手術によって一度早穂理さんは声を失った。愛する人の声が二度と聞けないというのはどんなに苦しい事だろうと思いをはせました。そして失ってしまったと思った声が聞こえた時、どれほどの思いが巡ったのかと想像しました。先生方は早穂理さんが生まれてからずっとそんな思いの繰り返しの中、生と死に直面して生きてこられたのだと改めて思いました。だからこそ、真剣に生きる事の大切さを私達に教えてくださるのだと思いました。

2021.1.15 R.Sさん
スーザンオズボーンさんとの出会い、オリンピック・パラリンピックで歌うまでの話は、ここまで大きな事を出来るのかと驚きました。早穂理さん二度目の闘病生活の話を読み、苦しむ早穂理さんに寝る間も惜しんで交替で付き添う先生方の純粋な思いはすごいものを感じました。自分の生き方を反省させられこのままでいてはならないと思いました。

2021.1.15 Y.Kさん
今回はスーザンさんがオリンピック・パラリンピックで歌を歌う様になる所と、早穂理さんが危篤状態になり、奇跡的に助かる話がありました。人の想いとは素晴らしいもので、そこに向きとエネルギーを加えると字図からが思った通りの事が実現してゆきます。みどり先生の想いはスーザンさんがオリンピック閉会式の皇太子殿下、雅子妃殿下の前で歌をうたう事を実現し、先生方の想いが早穂理さんを救われました。自らの想いをプラスの向きに希望を持って進んでゆきたいと思います。

2021.1.15 C.Wさん
さおりさんの闘病生活を通し、研先生とみどり先生のさおりさんへの強い愛から命がけの奮闘を読ませてもらい、子供への愛というのは、無条件で、本当に、大きく不変的なものなのだという事を感じました。その様な思いは子供がいなくても持つことができるのだろうか。先生方のあきらめない意志の強さ、現在もゆるぎない思いは、この様な歴史があり、積みあげられてきたのだという事をしみじみと感じる事ができました。あきらめない意志を強くもつゆるがない自分を確立していきたいと思いました。

2021.1.15 N.Iさん
早穂理さんの入院。さらに医療ミス。苦しむ早穂理さんを前にして、ただ祈るしかなかった。みどり先生がいつも私たちの身体を思うとき、真剣に厳しく向き合ってくださいます。その真剣さは早穂理さんが自分の命をかけて教えてくれた祈り、希望にあきらめない心がみどり先生の中にあるからだと感じました。一心不乱に祈り続けて、帰ってきてきれた早穂理さんがお母さんの手の中で祈りに応えてくれたその瞬間の最高の幸せ。私は今、共に感じることができたこの一瞬の「幸せ」をずっと忘れず早穂理さんの命をお母さんの手の平から皆の心に伝えて続けたいと思いました。

2021.1.15 Y.Sさん
今回の章を読んで第五章の祈りが印象に残りました。Bさんの予言があたらなくて本当に良かったなと感じました。二度目の闘病生活を続けた早穂理さん。そしてそれをずっと見守り続けた研先生とみどり先生。その精神力はとても半端でなくとてもすごい人生の山を乗りこえたんだなと今回のページを読み進めて感じました。そこから僕が学びとったのが何があろうとどんなに辛い人生の山があろうとあきらめずにやっていけばいつかは乗りこえられる事を信じる大切さを学びとれました。自分の人生をこれからもあきらめず栄光をつかみたいと思いました。

2021.1.15 K.Tさん
今日は、さおりさんが2回目の入院したことと、のどを切開してやがて声が出るようになったエピソードでした。2人でさおりさんを救うというその意志たるや、並の人生だった自分には測り知ることもできず、只々現在のいのちの森の皆の不甲斐無さを申し訳なく思い、だからこそ頑張るぞという気になります。やはりさおりさんは水輪の、いやこれからの世界が変わっていく先の理想だと思っています。早く冬が過ぎてみんなのちゃのちゃんに会いに行きたいです。

2021.1.15 T.Mさん
スーザン攻勢の文章を読むに、諦めないことと、行動することのすばらしさを学びました。私は、少しやっては諦めてしまうことが多く、課題の一つです。とにかく、ガムシャラに物事をこなすことが道をひらく、第一歩だと思いました。

2021.1.15 M.Sさん
今回もこのような勉強会を開いて下さり、ありがとうございます。今回は長野オリンピック・パラリンピックでの意外な裏話と、早穂理さんの二度目の闘病生活に関する内容でした。パラリンピックでは、夢を実現する為に、一人だけでは無駄でも、意思の統一された大勢でやればそのエネルギーが叶えてくれることを学びました。次に、闘病生活に関しては、何度か例に上げる事がありますが、もし自分や或いは家族、友人が同様な大病、重傷を患った時に、現実を受け止められる心構えが出来るかどうかを問われているように感じました。自分は必ず良くなる事を強く信じられる人間でありたいと思いました。諦めない心を鍛えたいと思った次第です。

2021.1.15 A.Yさん
今回早穂理、ひとしずくの愛を読んでみて印象に残ったのはスーザン・オズボーンがパラリンピックで歌うことになった経緯です。みどり先生はまわりからどれほど無理と言われても、生涯を持つ人々、その家族、癒しを求めるすべての人に、スーザンをパラリンピックで歌ってほしいと願い「必ずこのことは実現する」と強い思いを持ち、動いていました。稲盛さんがおっしゃる「思いは実現する」そしてそれは私利私欲ではなく純粋な利他の心からであると実現する。ということをとてもよく表していると思います。意識にはものすごい力があると改めて思いました。私は自分の願いを叶えるために強い思いを持ち続けもし実現しなかったら…などというネガティブな気持ちに負けることなく日々努力していきたいと思いました。

2021.1.15 G.Oさん
危篤状態から奇跡の復活はすごいと思います。

2021.1.15 H.Oさん
「もうダメダ」なんて自分にもちろん他人へも絶対言わない。その変わり「大丈夫」「絶対できる」と励ますことにする。みどり先生は、今日、私に言ってくれた。「絶対にあきらめないからね」先生は私たちが間違いを何度起こしてもあきらめないで信じて下さる。こうして、先生は利他で行動している。だからスーザンの素敵な歌を世界中の人がきく事ができた。私はこのとてもとても暖かい先生が大好きです。あこがれの存在です。なので先生へ近づけるように前を向いて頑張ります。

2021.1.15 N.Kさん
自分が1歳の頃のパラリンピック、オリンピックにみどり先生がとても大きく関わっていたと知りおどろきました。スーザンの声を全世界へ届けたいというみどり先生の強い思いがオリンピック組織委員会の心にひびいたのだと感じます。天使のような歌声、人々のたましいをゆさぶる歌声とはどのような歌声なのだろうととても興味が湧きました。
みどり先生が紫いろの衣装を着て歌うスーザンをイメージの中で見ていたというのは強い信念から生まれ、未来で必ず実現するとあきらめずに信じていたからこそだと思います。どんなに大きな夢でもあきらめずに努力すれば必ず実現する、という稲盛さんの言葉を思い出しました。「あきらめない」ことの大切さを学ばせて頂きました。

2021.1.15 K.Oさん
スーザンさんの一言、「オリンピックとパラリンピックで歌いたい」という思いに感動したみどり先生。感動することは、著名人の方、全国の方々、そして組織委員会の方々を動かしていた。組織委員会へお礼に行った時、笑顔で互いに労をねぎらった瞬間は何ものにも変えられない時だったのだろうと思う。

2021.1.15 A.Hさん
強く願いあきらめないこと、みどり先生の本当の強さがここにはある。何に対してもみどり先生はあきらめない強さがある。人に対しても夢に対しても本当に実現させる強さそれが本当の強さなんだと身にしみて感じました。自分自身も、本当の強さを持てる人になりたいと心から思いました。

2021.1.15 Y.Tさん
早穂理さんは21歳にしてまた大変な事になってしまった。しかし、みんなの愛の力、特に両親である研先生、みどり先生の愛の力で復活することができたのは本当に良かったと思いました。あれから20年以上経った今でも元気な早穂理さんに会えるのは自分にとっても嬉しい事です。

2021.1.15 T.Sさん
オリンピック・パラリンピックでスーザンが歌う企画が一度ボツになったが、みどり先生の努力でその企画が実現された事、そして、2度目の早穂理さんの入院生活でも、研先生とみどり先生の早穂理さんを助けようとする意志、諦めなかった事。この二つの出来事で、思いは祈りは強ければ実現するという事が学べました。しかし、それは自分一人の力だけでなく、加えて純粋な利他の心で動いたからこそ実現したと感じます。やはり、利他の心を持つ事は自他ともに幸せにし、自分を強くするものと思いました。そして、様々な奇跡を起こす力もあると感じました。

2021.1.15 S.Tさん
私が今回心に残ったのは「心の中には常に必ずこの事は実現するという強く揺るぎない想い」という所と「奇跡が起こると信じても良い」「夢を実現しようとしたら夢に向かって本当に突き進めば良い」と書いてあって、昨日、研先生が言っていた「出来ると思う事が大切」「出来ないと思わない出来ると思う」「やってみる事が大切」という言葉を思い出しました。私はもう一度、最近諦めた夢に挑戦してみよう、と思いました。

2021.1.16 A.Yさん
今回読んでみて印象に残ったのは早穂理さんの入院生活でみどり先生はホメオパシー医学・東洋医学の他、西洋医学の大切さを身にしみて感じたというところです。早穂理さんの気管切開手術を行ったことで結果的に良かったということになりました。私は薬を飲むことに対して嫌悪感を抱いていました。漢方などの方が良いと思っていました。しかし、無気力感で苦しんでいた自分がここまで良くなったのは、井上先生の選んで下さった薬のおかげです。自分の思い込みは間違っていたのだと思いました。そしてこれは今日最後に読んだ「すべて委ねて」というところにつながっています。今の状況を何とかしようと自分のエゴでもがいても何も変わりません。抵抗するのをやめて今の自分を受け入れ、大いなる何かに身をまかせ、静かに目の前のことをやり続けることが大切だと思いました。

2021.1.16 R.Sさん
早穂理さんの命を守るため本当に真剣に生きてきた研先生みどり先生のエピソードを読み、人はここまで綺麗な心を持つことができるのかと、大きな学びになり。自身を反省させられました。頑張りたいと思います。

2021.1.16 Y.Sさん
辛かった入院生活が終わり、怪我の功名として早穂理庵に戻れて良かったと思いました。
そこからみどり先生は鼻チューブでご飯を食べている早穂理さんの様子を見て今までと同じように食べると決心をしたみどり先生がスゴいと感じました。口から食べ物を入れる訓練を始め、ついには自分の口から食べれるようになり自分も大善は非情に似たりだなと感じました。早穂理さんの生き様を世界に発信している今の現状を見て人生とは何一つムダな事はないんだなと学びました。

2021.1.16 C.Wさん
私はさおりさんの様に水晶の様なすみ切った瞳で死んでいきたいと思いました。どんな痛みも苦しみもただ受け止め生きることを冒険している様に見える。何かできることがすべてではなくただそこに存在しているだけで大切で貴重なことなのだという事を学びました。

2021.1.16 N.Iさん
「早穂理は今までと同じように食べる」と断言したみどり先生の直感は母が娘を思う信念であったのではないか、極限の愛の姿を見ました。信念は考えられないような奇跡を起こす。みどり先生が可能性を信じて私たちに接してくださることはさおりさんの命から、さおりさんとみどり先生との間には深い深い愛のつながりがあってみどり先生があきらめない心で関わってくれていると感じます。そしてさおりさんは皆のために生きていてくださっている、本当にそのことを感じた勉強会でした。

2021.1.16 N.Sさん
意識を徹底的に見つめる大学。意識の進化とは改めてどういう事かと考えさせられました。毎日、一歩進む事を繰り返し気付いた時に高い視点から物事を見られるようになる事もその一つだと思います。そして、一人の意識の高まりは周りにも伝波し、全体が良い方向に向かうのだと思います。
与えられた全てを使い働き生きる事を通してこれからの自分の意識の進化を楽しみにしています。

2021.1.16 G.Oさん
チューブから口からの食事のくだりは感動しました。

2021.1.16 H.Kさん
「人生の中で、自分たちの意志で強引に推し進めたものは何ひとつなかった」という研先生の言葉が今回心に残った。全て委ねたという姿勢と直感によって現在の水輪がまるで予言されているかのように語りになったのだろうということを感じた。自分は今まで何でも努力によって強引に切り開こうとして来た所があると感じている。これから運命に委ねるというやわらかい心を身につけてゆきたい。

2021.1.16 A.Yさん
今回の章のよみあわせさせて頂いて今も昔もみどり先生と研先生は自分たちのためではなく、人のために自分たちができることを一生懸命されています。何でそのようなことをできるのかなと思ったとき、先生方は「人の幸せが自分たちの幸せ」なのでと思いました。内面が豊なのだと思います。私も先生方を見習って人にわけ与えることのできる人間になりました。たとえ、今現在がうまくいってなくとも信じ続けてよりよくしていこうとするまちつづけることが重要です。ありがとうございました。

2021.1.16 R.Sさん
私が早穂理庵へきたときも、さおりちゃんは何度目かの入院をおえて。お食事の練習をしているときでした。さおりちゃんへ、みどり先生は母としての真実の愛でもって、厳しくもさおりさんが食べようとするのを待っていました。早穂理庵のお勝手でさおりさんの口へ食べ物をもっていっておさおりさんは口をひらこうとしませんでしたが、訓練のかいがあって少しずつ食べられるようになっていったのでした。そんなくりかえしの中で、意識の大学構想が作り出され、その意識が実現されていったのは本当にキセキのようなことだと思います。

2021.1.16 H.Oさん
この場面を呼んで浮かんだ言葉が「福祉の原点は愛である」「愛は、世界を一瞬で変える」私は死ぬ時笑顔でいたい。

2021.1.16 T.Mさん
鼻チューブで酵素玄米を流し込む食事から思い切ってさおりさんの口から直接食事をとらせる方向へ決意したところが印象に残りました。まさに大善は非情に似たりで、飢餓状態に追い込んでいくみどり先生はつらい洗濯をされたのだと思います。
又、ケーキだけは見て分かるという早穂理さんは普段あまり早穂理さんと触れ合う機会のない簡素メンバーとしては身近に感じるエピソードでした。

2021.1.16 M.Sさん
本日もこのような勉強会を開いて下さり、ありがとうございます。今回は早穂理さんが引退してから、健康体に回復するまでの期間に関する内容でした。峠を越えた後の、リハビリ生活もまた根気を要するものだと改めて感じさせられました。自分も足の骨折をしてしまった時、足が思い通りに動かず、元通りになるまでの期間はもどかしさと苛立ちで一杯でした。これだけで済んでよかったと有り難さを感じられなくなっているくらいでした。自分でこの有様なら、他人、良く例に挙げる家族や友人であった場合。励ましの言葉が分からないのはいけないだろうと思った次第です。また、後半になった学校の構想は、現在は半分叶っているとは思いますが、まだまだ先を目指しているのだと思うと非常に敬意を感じます。自分もそれだけの夢と目標を抱けるだけの人間へとなりたいと思った次第です。

2021.1.16 H.Tさん
今回印象に残ったのは、真実の愛の節です。個人的に、強引にやることが好きではないので、自然と食欲を引き出そうとするやり方は、いい意味で。工夫だと思います。早穂理さんに食事をとらせるために、考えをめぐらしていくみどり先生の姿を想像すると、感慨深いものがあります。

2021.1.16 Y.Tさん
早穂理さんが口でまたご飯を食べるようにするためにリハビリするシーンで自分から食べようと思うまで一切食事を与えなかった話を読んで医療人としてそういう選択はしないなと思いました。しかし、結果としてはみどり先生の行動が良かった訳でそういう決断のできるみどり先生は凄いなと思いました。

2021.1.16 S.Tさん
今回、読んだ所で心に残った言葉は「真実の愛」という言葉です。早穂理さんとみどり先生と研先生の3人の愛情が、今の私達、水輪を支えてくれているのだろう、と思います。人は危機に陥った時に本当の愛を知るのだと思います。私はこれから真の愛を持って人に接していきたいと思います。直ぐには出来ないと思いますが、1歩1歩ゆっくりとやっていきたいと思います。

2021.1.16 T.Sさん
退院後も口から物を食べようとしなかった早穂理さんに食べ物を食べさせる為に、早穂理さんを飢餓状態に追い込んだ。これはやはり早穂理さんの事を信じている行為と思いました。それができたみどり先生の行動は母親ならではの強さを感じました。

2021.1.17 A.Nさん
「誰の中にも神様はいる。でも、たいがいの人はそのことを忘れている。感じることより考えることばかりに一所懸命。」 文中より、さおりさんの足の温度管理すらうまくできていない状態を思い出した(読んでいて)。先のことばかりを考え、結果として今の状態をみおとしがち。何をやってたんだろう、と自分ながら思った。

2021.1.17 H.Oさん
私は生まれた時からここ水輪へ来ることになっていたのかもしれない。“苦しみも極まれば喜びとなる”当たり前と思ってしまうとそこで終わるけどそれが奇跡と思えれば喜びへと変わる。苦しみを味わうと何気ない一日がとても幸せに感じる。ここに来れたこと さおりさんと出会えた運命に感謝。

2021.1.17 R.Sさん
みどり先生、研先生が、さおりさんと生きていく中で多くの学びを得て、あきらまず、やりつづけることを、今、私たちにも、一緒に暮らす生活の中で、やり続け、その姿を見せてくださっています。やり続ける、あきらめないことで、意識が進化してゆくこと、それを教えてくれるためにさおりさんが存在してくれている。さおりさんからの学びはそれだけではなく、生きる喜びをさおりさんは、私にも教えてくれました。さおりさんの心は様々な痛みや苦しみの中でも清らかで生き生きと輝いているように感じます。大発作になって、息ができなくなり、でも息をふきかえした瞬間に息ができる喜びに笑顔でにこーっと笑ってくれる、そんなさおりさんをすごいなあ、と感じています。

2021.1.17 A.Yさん
多くの人達は、成長するにつれて良くも悪くも変わってしまうけど、さおりさんは良い意味で変わってこなかったのもあるかもしれない。さおりさんは本当に表も裏もなく、それだけでも人間として尊敬できる存在だと思っています。何もできないのではなく、その姿を通じて私たちに与えて下さっています。さおりさんありがとう。ナナカマドの咲く頃にも読んでみたいです。

2021.1.17 C.Wさん
事実を事実として100%受け止めそのありのままの事実から出発する。自分にとってどうなのかという事にとらわれ、自分の都合のいい様にとらえ事実をありのまま受けとめていない事が私自身とても多いのかもしれないと思いました。それが感情にスイッチが入ってしまう原因なのだという事を思いました。本のエピソードからちょっと外れているかもしれませんが。感情に巻き込まれ時は「私は事実を100%受け止めているのだろうか?」と自分に問い、真実を見ていける冷静な心を育てていきたいと思いました。

2021.1.17 Y.Tさん
ある親しい女性に「あなたたちは幸せよね。私なんてホント、不幸よ」と言われたシーンが印象に残りました。自分としても「幸せ」「不幸」という所がピンとこなかったのですが水輪に関わってくれている人々の数は本当にたくさんの人たちで、そのような方々支えられ愛されている所が自分としては幸せなのかなと思いました。そのような純粋な活動が自分にもすることができ、支え、支えられの広い輪を自分も作ることができたら良いなと思いました。

2021.1.17 N.Sさん
今回は特に心に残った最後のみどり先生の言葉でした。「いつか八十のあばあさんになってその頃、早織理は五十過ぎの中年のおばさんで、それでも中年のおばさんをこうやって抱いてあげる・早織理ちゃんを抱っこしていてあげる」早織理ひとしずくの愛はとても意識の高い事が多く書かれていて普段の自分より背伸びした意識で読んでいたのですがこの最後の一言でただただ親に守られてきた自分そして両親の大きさを思いました。親にとって子はずっと可愛いわが子であり、子供にとっても親はずっとふるさとであって。人類の歴史はこの愛によってつながってきたのだと思いました。

2021.1.17 T.Mさん
P242の「“可哀相”に共振して、自分でエネルギーダウンを起こしてしまって」とありますが、これは私たちにも起こり得ることだと思います。たとえそう思うような事態にあっても、感傷にひたらず相手が今本当は何が必要なのかをよく考えて接することが重要なのだと思います。

2021.1.17 Y.Sさん
わが子であり、指導者であるという所の文章が印象に残りました。早穂理さんにしてきた事によりみどり先生が進化させられてきたと感じているみどり先生は考え方がポジティブで素晴らしいなと感じました。意識により苦行も苦行ではなくなってしまうというすごい名言もいただいたと思いました。誰の中にも神様はいる。みどり先生。そしてさおりさんが一生懸命生きてくれたおかげで命の輝き、そして命の大切さを深く学ばせていただいたと感じました。ナナカマドの咲く頃も近々読み進めていきたいなと思いました。

2021.1.17 M.Sさん
本日もこのような勉強会を開いて下さり、ありがとうございます。今回は本書の最後、巻末までの部分を読む事になりました。これにて遂に一冊読み終えてしまった訳ですが、改めて思うと、御二人の歩んだ道程は本当に波乱に満ちたものであったと感じた次第です。自分は――毎回言っている様な気もしますが――同様の数々の事態に陥った時に、あの物語の内容の如く、咄嗟の判断、苦悩の末の決断を下せるのかと考えさせられました。しかしそれが出来、それを繰り返した先に、安楽に近しい悟りの境地が待っているのだと思うと、まだ人生二十年程度を生きただけの自分は一種の冒険心が少しばかりたぎってきたように感じました。若い自分にはまだまだ実感が薄いですが人生は瞬く間に燃え尽きてしまうものだとよく聞きます。だからこそ、自分は悔いの無い人生を歩みたいと思った次第です。

2021.1.17 N.Iさん
「意識の進化」23才の早穂理さんとみどり先生のこの本の書かれた頃から22年たった今でも、ずっとずっと変わらない愛のあふれた水輪。それなのに45年間意識の進化。魂をみがくことがどれだけ私たちにとって大切なことなのか教えて続けてくれている早穂理さん。早穂理さんの存在はみどり先生のすさまじい糧までのる育ての中の出来事を乗り越えた先に無数の人々の心を救う神様のような存在のような気がします。どこまでも純粋な早穂理さんと慈悲深く全ての人を愛し、許し受け入れてくださるみどり先生の45年間の歴史をこの本の中で少しだけ一緒に生きられたような幸せな時間と学びの時間になりました。水輪に出会えてみどり先生に出会えて、私は変わりました。水輪にとび込んで24時間、ずっとずっと全身で学び続けられること「意識の進化」を心に生きてゆきたいと思います。そしてどれだけ人を愛することができるかを一生かけて自身に問うてゆきたいと思います。

2021.1.17 R.Sさん
早穂理さんとの人生で先生方は多くの葛藤の中で、気づきを得て成長してこられた。こんな事が多くの人にできるだろうか、僕にできるだろうかと思い、とても及ばない。局面に立った先生方は前向きに「愛のあるここ」と乗り越えてこられている。私もその生き方を学び自分自身の人生を良くしていきたいと思います。日々の出来事一つ一つに心を向け、込められるよう心がけたいと思います。

2021.1.17 H.Kさん
「陰も極まれば陽になる。苦しみも極まれば喜びとなる」という一行が印象に残った。本書を読み終えて、苦しみという言葉が意味することが変わったような気がした。それは一般的に見れば、ただ苦しい辛いというようなことであっても、それは自分の心が作り出しているものであること。ものごとに気付き、それとどのように感じるかによって一つつきぬけた、まったく異なる次元の物になり自分を生長させてくれているのではないかと感じました。今までの人生をふりかえり、自分がいかに浅いとらえかたであったかということに気付いた。今回、さおりひとしずくの愛を読ませていただきここでの実習の意味を何度も正されました。これからも自己の考え方感じ方を良い方向へと深めてゆきたいと思います。

2021.1.17 A.Yさん
今回読んでみて、印象に残ったのは「あるがままに生きる。人は存在そのものが愛しいのだから」というところです。人は皆現実にとらわれて、不安にさいなまれたり、自己否定に走ったりして自分自身を受け入れ、あるがままに生きることはできていません。しかしさおりさんは、エゴもなくあるがままに存在して私たちに気づきを与えてくれます。この本を通して学んだことは自分のすべてを受け入れ、認め、自分の存在そのものに価値を見出すことということです。自分が心の病を抱えていたり、課題があることを否定するのではなく、認める、引き受けると自然といろいろなことは好転していくと思います。どんなことも否定することはありません。すべてに価値がある。このことを忘れずにいたいと思いました。

2021.1.17 G.Oさん
さおりさんの存在はとても大きく水輪の人々にとって大切な存在だと思います。

2021.1.17 S.Tさん
今日がこの本の最終章で一番心に残った事は、よく、みどり先生、研先生が言う「子は親を選んで来る」と言っていて、早穂理さんは「みどり先生、研先生の所に生まれたい」ときっと思ったでしょう。だから、お二人のもとに何かしらの形で早穂理さんが生まれてきたのかもしれません。私は他人にどう愛を与えたら良いか、今は練習中ですが、失敗したとしても何があってもブレない自分を作っていきたいと思いました。

2021.1.17 T.Sさん
実際に発作を起こして苦しいのは早穂理さんであって、自分ではない。苦しんでいるのは、単に、自分の感情であって、それに巻き込まれると、本当に為すべき事が出来なくなる。その一文はとても学びになりました。苦しんでいる人を目の当たりにしても、そこで苦しむのは自分の感情、自分が本当にその人の為にやるべき事をやるには、淡々とやることがいかに重要か学ばされました。実際、私も感情の波が激しく、明るくなったり、暗くなったりがよくあるので、あくまで“淡々と”成す事を倣し、学んでいこうと思いました。