第2部 「真の経営を考える」

1 利潤本位の発想の限界
2 物質主義という問題
3 モノから心の時代へ
4 動機が最重要
5 心の結びつきを求める人々
6 経営者は瞑想家でもあるということ
7 真心の実践としての経営


利潤本位の発想の限界
人間や地球(環境)に優しい商品というものが登場し、注目を浴びています。内実はともあれ、そのようなフレーズをうたうだけで、人々はその商品に対して良いイメージを抱きます。宣伝文句だけでなく、真にこのような視点で生産された商品であるならば、消費者はどんなに心待ちにしていたことでしょう。

従来の商品とは、大半が、企業の利潤を動機とするものでした。それを手にする人間よりも、とにかくそれを売りさばくことで企業が潤えばよいという発想でありました。自社が利益を上げるためには、どうすればよいのか。すべてはここから始まっています。しかし、この原理では、安いコストで生産したモノが出来るだけ高く、多く売れればよい、競争に勝たねばならない、等々の極めて現実的な発想を社会全体が取らざるを得ません。


物質主義という問題
企業でも、社会でも、それを成立せしめているもの、その根幹にあるものは理念です。目に見えない理念が、企業や社会の形態、あるいは一つの商品となってこの世に物質となって現象しています。

たとえば、添加物のいっぱい入った食品も、薬漬けの病院も、そのような現象として現れる以前に、何らかの理念があり、その理念がこのような形になって現れているわけです。

それでは、現代社会に共通している理念、哲学とはどんなものでしょうか。資本主義、社会主義という社会体制の問題よりも、心が不在である物質主義、プラグマティズムというものの考え方ではないでしょうか。事象の捉え方の問題です。目に見えるもの、五感で認識できるものしか認めない、という考え方です。科学も、社会常識もそれらは信用できて、思想やイデオロギーとは呼べないもののように見えますが、やはり一つの考え方の上に成り立っているものです。

物質主義とは、そこに存在するモノはモノでしかない、そしてモノしか認めない、という考え方です。この発想により、とりあえず、目に見える結果が良ければよい、となります。見た目が良ければよい、美味しいと感じればよい、痛みを抑えられればよいなどと言うその場限りのことだけが重要で、因果関係、つまりそういうことを続けていった結果どうなるか、ということはあまり重要でないという発想です。

物質主義の誤りとは、心という存在を全く無視しているところにあります。心は目には見えません。環境を汚したとしても、地球が言葉で文句を言うわけではありません。恐怖に泣き叫ぶ生き物を殺して、肉を取ることも、人をだましてお金を奪うことも可能です。心というものを無視して、物質的に潤うことは現象的にはいくらでも可能であったのです。心よりもモノが優先されて来たわけです。

けれども心というものは目には見えないだけで、実在するものです。また、人間や動物だけでなく、植物や地球にも全て心(意識)があります。そして、意識は物質化(現象化)します。長年に渡って潜在下に蓄積されてきた意識は、力を持ち、やがては表に現れるのです。物言わぬ者たちの意識や願いは、いつの日か必ずこの世に現れます。

人間が、その場限りの利益を考え、全体を顧みないということを繰り返してきたならば、最終的にはそのことによるネガティブ性は必ずそれを生み出したもののもとに返ってきます。


モノから心の時代へ
今日の日本は、物質的には大変豊かになりました。モノは氾濫しています。さらに追い打ちをかけるように、海外から今までとは比べものにならないくらい安い価格で商品が輸入され、価格破壊が進行しています。

心、人間性といったものを省みることなく、モノだけを生産していれば良いという時代は終わりを告げようとしています。

物質的に豊かであることは必要なことではありましたが、それだけでは人は幸福になりませんでした。今、人々が最も求めていることは心が幸福である事ではないでしょうか。なぜなら、心というものがあってこそ初めて人が人として潤うことが出来るからです。心は目には見えませんが、物質の根幹にあるのは心なのです。

では、心とは何なのでしょうか。それは、目には見えませんが確かに存在するもので、心とは波動であるのです。それはちょうど電波は目に見えなくても、テレビ、ラジオの受信機を通じてその存在を誰もが確認しうることと同じです。


動機が最重要
人気のあるお店、潤い、発展性のある会社となるための条件とは、いうまでもなく供給するものがどれくらい好んで受け入れてもらえるか、ということにあります。商品やサービスを媒介に社会のコミュニケーションは成り立ちますが、微細な観点からいえばそれは波動の交流でもあるのです。その商品を受け取ることによって心が軽く、明るくなることが出来るならば人々はそれを好んで求めるでしょう。

一つの商品とは心(波動)の現れです。それを開発したり、そのサービスを供給しようという人の心の結晶です。心という目に見えないものが、物質という形あるものとなって、現実のものとなるとき、その思いはもっと強くなるということです。それは内容の善悪を問いませんから、良い思いが物質化したときは良い思いがもっと強くなり、悪い思いが物質化したときは悪い思いがもっと強くなります。

何事も動機が最も大切です。この商品やサービスを手にする人が本当に豊かになって欲しいと願う心が動機となった経営であるのか、それとも自社がより多くの利益を得るためにはどうすればよいかをまず第一に発想するのか、「理想はわかる。しかし現実はそれではやってゆけない。」という言葉は大変に耳にしてきました。しかし、今は発想が逆転して行く時代です。前者は心優先、後者はモノ優先の発想です。何よりも人々が心の幸福に価値機軸を置き始めたからです。

心優先の経営とは真心の経営であるということです。商品やサービスというものを通じて、真心を伝えてゆくことです。真心は必ず通じ、また共振します。真心と呼ばれる心の状態と利己的な金銭勘定に終始している心の状態とではどちらが人間は幸福を感じるか、今後、人間はますますこのことを基準に選択をして行くような気がします。

また、何よりも、真心を動機とした経営であるならば、その理念の元に働く人々もまた豊かになって行きます。真心の磁場が形成され、共振し、真の豊かさが広がって行くでしょう。真心という動機のもとに提供される商品であるならば、ともに豊かになって行くことが出来るのです。


心の結びつきを求める人々
まだ、このようなことを言っても、理想ばかりが先走りしているかのような印象を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。

このような社会の、というか人類の意識の方向性に大変敏感であるのが通信関連事業であると思います。いうまでもなく、インターネットは大変な関心を呼び起こしています。インターネットの注目すべき点は、基本的には企業も機関も個人も無料で情報を公開しているという点にあります。時間と労力をかけてホームページを作成しても、お金にはならないというよりも出資であるわけです。また、インターネット等に必要なソフトウェアも無料で(フリーウェア)か、使ってみて良かったら制作者にお金を送る(シェアウェア)という形態が多くあります。さらに、企業間でさえも、自社の利益だけを追求するだけでは生き残ることが出来ず、採算よりもネットワークが最重要となって来ました。

自己の利益やモノを得ることよりも、与えあって、結びついてゆくことに人々は価値を見いだし始めたのではないでしょうか。


経営者は瞑想家でもあるということ
真心を動機とすればよい、とは大変単純なことです。

しかし、多くの人は真心で生きたなら、損をするかのように考えがちです。

さしあたっての現実性、採算性、効率性よりもハートがどう感じるかを行動の基準とする事は、実際には勇気のいることです。

私たちは、このこととは逆のことを教えられ、競争社会の中で生きてきました。私は真心で生きる主義です、などという子供よりも勉強が出来る子供の方が社会では歓迎されます。真心と言うことは、誰に教えられなくても子供の頃から知っています。しかし、大きくなるにつれ、それを忘れ、それから離れることの方が普通で、現実的なこととなってしまいました。

けれども、真心という心は人間の思考によって生み出された何かの概念とは本質的に異なる心の状態です。真の心、つまりそれが心、そして人間の本質であるということです。


真心の実践としての経営
古代日本には惟神(かんながら)の道という概念がありました。古代の日本人にとっては、生きることそのものが神に通じる道でした。本来の経営もまた然り、真心の実践の道であって、私利私欲に走り、お金儲けをする道では決してないはずです。経営とは生命(いのち)の営(いとなみ)の経(みち)です。真心という形無きものを、いかに実践するかーその真心が本物であればあるだけ、人々の感動を呼び起こし、社会に貢献でき、自分から発した豊かさがフィードバックされ、他者をも自己をも潤すのです。ですから、ビジョンが本物であったならば、理想論に終わるだけではなく、必ず現実面での経済性を伴うバランスあるものとなってゆくでしょう。経営とは真心の純粋性の検証でもあるのです。

これからの時代の経営とは、真心の実践としての事業という位置づけになってくるのではないでしょうか。このような動機から生産物が供給されるならば、害や副作用が生じるものがこの世にでることはないはずです。万物は、与え、与えられ、生かし、生かしあって存在しています。たとえ毒のある木でさえも、マクロ的な視点からすれば全体にとって必要不可欠なものです。宇宙の存在の本質は自然の中に見て取ることが出来ます。また、経営の在り方も、自然の中に凝縮されています。経営理念や哲学も、本質的には人間の頭の中で考え出されるものでなく、自然の摂理、宇宙の本質の中にその方針が既に示されているものであると考えます。

常に真心に立ち返ることや、自然の中に方針を見ることーこれらのことは誰かから言葉で学ぶと言うよりは、自らの心をよりどころとし、あるいは閃きとして与えられるものです。そのためには、心というセンサーが澄んでいなければなりません。経営者自らも瞑想的であることが理想です。

公益財団法人いのちの森文化財団
水輪代表理事 塩沢みどり