天河神代の神宝・五十鈴について🔔
【
10月4日~5日 世界平和の祈り・奉納演奏喜多郎コンサート
天河大辨財天社、名誉宮司柿坂神酒之祐氏と
天河神代の神宝・五十鈴について
】
10月4日~5日 世界平和の祈り・奉納演奏喜多郎コンサートに
天河大辨財天社名誉宮司柿坂神酒之祐氏に
神事を執り行っていただきます。
喜多郎さんもアジアツアーを終え、急ピッチで日本に
帰ってきてくれました

柿坂神酒之祐氏は、御年88歳。
飯綱の平和・世界の平和のために
意気込んでおられると伺っております。
護摩焚き・五十鈴の御神事など、
とても貴重で特別な機会に
なると思います。
天河大辨財天社名誉宮司が執り行う、
天とつながる世界平和の祈り。
この機会に是非お越しください。
日本三大弁天の宗家とされるこの天河大辨財天社は、
水の精、弁財天女を祀ります。
音楽や芸能の神様としても有名で、神前での能の奉納が
毎年行われ、世阿弥も用いたとされる阿古父尉の面、
能楽草創期からの価値の高い能面、
能装束が多数奉納されています。ご祭神は中央に弁財天、
右に熊野権現(本地仏:阿弥陀如来)、左に吉野権現(蔵王権現)
がお祀りされており、
神仏習合の形態を今も残しています。
大峯修行の要の行場とされ、古来、高僧や修験者たちが
集まりました。特に弘法大師空海の参籠後は、大峯参り、
高野詣とあわせて多くの人々が訪れるところとなりました。
かつて皇位継承事件で窮地にたたされた大海人皇子が、
大和朝廷を守護する神々の
ふるさと吉野を訪れて勝利を祈願して琴を奏じると、
その音に乗って唐玉緒を纏った天女が現れ、
戦勝の祝福を示しました。
この天女が役行者が弥山山頂に祀ったとされる
弥山大神でした。
皇子は壬申の乱に勝利して天武天皇になると、
天女の加護に報いるために麓に
神殿を造営し、「天の安河の宮」としました。
これが天河大辨財天社の始まりと
伝えられています。またこの「天の安河」が天川の
地名の由来となったとも云われています。
拝殿前に吊された五十鈴は古来から伝わる独自の神宝で、
みむすびの精神をあらわしています。
拝殿向かいには能舞台があり神楽や能楽、
音楽奉納や結婚式など多目的に使用されています。
本殿のほか参道石段手前の五社殿、
境内より徒歩10分の禊殿などにも足を運んでみてください。
数々の年中行事には珍しい神事も多数行われています。
(天川村 観光ページより引用)
昭和12年生まれ。奈良県吉野郡天川村に、
7人兄弟の末っ子として誕生。
若い頃には南米アマゾンにて暮らしたり、世界中を旅して、
現地の人々の祈りの儀式などを実際に体験で学ぶ。
その後、さまざまな仕事を経験しながら、父が宮司を
務めていた天河神社で、掃除人として日々掃除に明け暮れる。
昭和41年、天河神社 第65代宮司に就任。
令和4年3月退任し名誉宮司に就任
(日本文化発祥の聖地 大峯弥山のページより引用)
五十鈴(いすず)は、天河大辨財天社に古来より伝わる
独自の神宝で、天照大御神が天岩屋戸にこもられたとき、
天宇受売命(あめのうずめのみこと)が、
ちまきの矛(神代鈴をつけた矛)をもって、
岩屋戸の前にて舞を舞われ、
神の御神力と御稜威をこい願われたことによって、
岩屋戸が開かれ、
天地とともに明るく照りかがやいたという伝承に登場する、
天宇受売命が使用した神代鈴と同様のものであると
伝えられています。
(五十鈴たたら舞のページより引用)
世界平和の祈り・喜多郎コンサート スケジュール概要
14:00~いのちの森散策
喜多郎美術館無料見学(希望者)
禅・瞑想(森のいずみ2Fやまぶき希望者)
天河大辨財天名誉宮司柿坂神酒之祐
御神事催行 護摩焚き 御神事 五十鈴
- 宇宙に響け Full Moon Concert –
以上はいのちの森野外ステージ、
雨天の場合はいのちの森音楽堂「喜輪」
御神事催行 天河大辨財天名誉宮司柿坂神酒之祐
祭事 喜多郎氏笛演奏
御神事参拝 玉串奉奠
特別ゲスト「世界が良くなるための祈りの本質」
森井啓二先生・小坂繁聡先生・増田いずみ・関根健人
・金井大輔・平澤美土里・塩澤研一・塩澤みどり
いのちの森野外ステージまたはいのちの森音楽堂「喜輪」
