水輪

いのちの森水輪の新着情報&ブログ

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Tくんが水輪に来て約半年が経ちました。
来た当初は泣いてばかりいて、体も細く頼りげがない…
そんなTくんでしたが、毎朝決まった時間に起きて、
朝昼晩しっかりご飯を食べて、畑実習を
スタッフに助けられながら、
時には泣きながら、
一生懸命やっていたら…
約半年の短い期間で、笑顔はじける素敵なTくんになりました!🥰
生き方と働き方学校に入所した当初は、
「早く家に帰りたい」
「ずっと寝ていたい」
「なにもしたくない」
「好きなものばかり食べて寝ていたい」
など、
生活習慣がおざなりになり、体もこころも
闇の方に向かっていた人がほとんどです。
けれど、いざ街に出て、好きなところへ行ったり、
好きなものを食べてみても、こころはどこか虚しく、
おなかは満たされてもこころは満たされず
それでもどうにもならず続けてしまい、闇の中に
はまっていってしまう。
自分のこころにあるのは、不安と孤独のみ。
この状態から抜け出すことは、簡単ではありません。
今月SHOGENさんがセミナーで来て下さった時、
「足から心が育つ」
とブンジュ村の村長さんの教えを共有して頂きました。
畑はまさに、足で土を踏み、手でお野菜に触れ、全身で大いなる自然を感じることができるフィールド。
種まきから始まり、収穫し、お野菜を全国のお客様にスタッフの
リードで発送するまでの作業は全て人の手で行われています。
お野菜を育て、発送しお野菜をお客様にお送りするまで。
お野菜の始まりからお見送りまで。
それら全てを自分たちで行うのは、お野菜という子供を育て、
発送してお見送りする、「親」と同じ。
そして親は、子に無償の愛を与える存在。
畑実習では、お野菜作りを通して子育てを疑似体験し、
「自分の内側から湧き出る無償の愛を与える」ことができます。
おいしいお野菜を作るためには、愛情が欠かせません。
畑と周辺に生きる野草たち、そしてお野菜に声をかけ、
声をかけ続けることで、お野菜たちは愛情を受け取り、
おいしくなるのです。
そして無農薬・無化学肥料でお野菜を育てることは、
簡単ではありません。それこそ夏は汗水を流し、
冬は春に備える準備をたくさんこなしていく。
そして、毎日お野菜のいのちを頂かせていただく。
なんて有難いことなのだろうと、大いなる自然に対して
感謝が生まれてくる。感謝無くして、人は成長できません。
「畑づくりは人づくり」
私たちは、畑を作っているようで、畑さんに育てられている。
そのおかげで、Tくんは半年という短い期間で
前からずっと続いていた下痢も良くなりました。
本当に食が細くて食べれない状態で、
何かしてもすぐ疲れてしまい、
「なんで食べてもすぐ出てしまうんだろう」
「なんですぐ疲れてしまうのだろう」
と自問自答を繰り返し、
そんな自分の状態に嫌気がさしていました。
そして、「どうせ僕は何も変わらないんだ」
「どうせ変わることなくこのまま死んでいくんだ」
と、変わりたくとも変われない自分を悲観していたのです。
その悲しみから、Tくんは救われたのだと思います。
畑さん、お野菜さん、私たちに学びを与えてくださって、
愛し方を教えて下さって、感謝を教えて下さって
ありがとうございます。
共同生活、実習、ドクターカウンセリングなど、
水輪での生活実習は全てがリンクして、心を病んだ
青少年達のいのちが生き生きと輝いています。
日進月歩を繰り返しながら、それでも1ミリ1ミリ進み、
薄皮を剥ぐように、繊細なレベルでそれぞれの
胸に光るダイヤモンドを掘り出していく。
最後には、塩澤研一先生、みどり先生の深い愛情、そして早穂理さんの存在のおかげです。
「人は人によって輝く」
心を病む青少年たちのほとんどが、孤独、孤立を感じ、
自分の殻に引きこもってしまい、
自分の頭の中だけの世界に生きてしまいます。
その世界には自分だけが存在し、「他者」が存在しないのです。
他者が存在して初めて、自分が客観視されます。
そして、他者を思いやる気持ちができます。
他者がいることの有難さを感じます。
「24時間365日、寝食を共にする血の繋がりを越えた共同生活」
実家或いは病院から離れ、様々な境遇に遭い、
同じような苦しみ、悲しみを体験した仲間と共に、
補い合い、助け合い
そして高め合う。
お互いがお互いを理解し、人間力を高めるため
注意し、指摘し、自分が知らない自分の課題を
突きつけられ、抗い、それでも最後には課題を理解し
より良くなるために実習に励む。
そうして、自分の世界から少しずつ手を引くように、
集団生活を通して仲間の輪に入り、
畑実習を通して自然の中に入っていく。
そのプロセスを経て、Tくんは良くなっていったのだと思います。
雪が降るまで、畑ではまだまだやることはたくさん。
みんなと一緒に一生懸命頑張っていきましょう!😊✨
水輪スタッフ研修生高木愛加
以下、Tくんが書いてくれた文章です。水輪に来てからの変化と、
Tくんのこれまでとこれからについて書いて頂きました。
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「水輪に来てからの変化」
水輪に来たきっかけは、母からの勧めで来ました。
ここに来る前は、中学1年の夏休みあけから13年ほど
引きこもりをしていました。
1日1回の食事と昼夜逆転の生活でとても不健康でした。
長い引きこもり生活で自分で何もしなく、考えなくなり、
母に何でもやってもらおうという依存的な考え方が
染み付いてしまっていました。
また、母も自分に対して何かをするのが全てみたいな
感じになっており、共依存と言われる状態でした。
水輪に来て母と離れた事により、自分で考えて、
行動する事をするうちに引きこもっていた時は
笑顔などを見せる事は無かったのですが、
最近は笑えるようになってきました。
また、これまで10以上の病院を転々としてきたのですが、
あまり良くならず、なのに井上先生に診てもらってからは
どんどん良くなってきている感じがします。
なので、これからも実習を続けてどんどんとこれまで
逃げて何もしなかった自分から抜け出し、
成長していきたいと思います。
「僕のこれまでとこれから」
水輪に来て5ヶ月、笑顔が増えた。
笑えるようになった。
幼稚園の頃まではとても明るく、
活発な子供でした。
ですが、小学校の時になんとなくみんなから幅にされて、
そこから高学年になるにつれてクラスのみんなに無視され、
自分を押し殺し、みんなに合わせよう合わせようと
するようになり、小学校を卒業する頃には自分を繕うように
なっていました。
中学は自分をいじめていた人達がいない方の学校にしたらと
母に言ってもらいその通りにしました。
自分で選択する事が出来なくなっていました。
中学ではみんなに合わせて合わせてとしていたら
最初の3ヶ月はとても上手くいきました。
会話の起点になり、周りからは友達が多く見えたらしいです。
実際には中学で出来た友達はいないと思います。
3ヶ月が経ち自分の本性が分かってきた子から離れていき、
次第に浮いていった印象があります。
中学に行かなくなったきっかけは、総合学習の時間に
4,5人の班に分かれて勉強したことを模造紙に書いて
発表するという授業があり、自分が書き込みをするという
役割になったのですが、自分の文字を大きく書くというのが
怖くて出来なかったからです。
みんなに見せている自分と、本来の自分との間が
どんどん開いていき、出来ない自分を人に見せる事が
出来ずにそのまま家に引きこもってしまいました。
みんなは自分が学校を休んでいる理由が分からず、
とても心配してくれていたと聞きました。
担任の先生が心配して家に来てくれた時に
「行けない」と泣きながら言った事をよく覚えています。
それに対して先生は「分かった」と言い何も聞かずに
いてくれました。引きこもってすぐは登校の時間が
嫌で嫌でたまらなかったです。
当時は何で学校に行けなくなったのかが分からず、
ただただ何もせずに1ヶ月くらい過ごしていました。
その後、暫くして川崎市が運営し、
学校の先生をされていた人たちがいる
フリースクールに通ってみる事にしました。
母がとても心配していたので、頑張る「フリ」をして、
とりあえず安心させようという思惑がありました。
最初は出来る「フリ」をして続けると言うのですが、
次第に本性、「やる気が無く、どうでもいい、何もしたくない」という自分が出てきて、フリースクールに行かなくていい理由、
嫌な所ばかり見出して1ヶ月も経たずに行かなくなりました。
学校に行かなくなり、フリースクールに行かなくなって、
学校の生活時間から逃げるように昼夜逆転が始まっていきました。そこで長い夜の時間をゲーム「MH4」に費やしました。
当時新たにオンライン通信プレイが開始された事も
ゲームにはまっていった要因です。
オンラインなら深夜、早朝関係なく人と遊べて次第に深夜2時~5時に顔も名前も知らないけれど、
いつも集まる人が出来、そこが自分の居場所になっていたと
思います。ですが、父からは「電気代がもったいない早く寝ろ」と言われ続けていた事もあり、少しずつ不仲になっていきました。