📖過去の『致知』取材記事のご紹介📖
『致知』の取材をして頂くのは、今回が4回目です。
ありがとうございます。
初回は、「純度100%の愛と祈り、そして誠 命を慈しむ」
この頃水輪は、「ホリスティック・アウェアネス・スペース 水輪」という名前でした。
全包括的な気づきの意を込めて、瞑想や座禅、小規模人数のイベントを行う会員制の施設として「水輪」館を経営していた時期です。この頃早穂理は22歳でした。
小見出しにもありますが、最重度の障害を負った早穂理を授かったことは、「ものすごく貴重なプレゼント」なのです。普通に生きて、普通に健康な子供を授かって、普通に家族団らんを楽しんで、老後余生を楽しみながら生きる「普通」のルートを辿っていれば、水輪はここまで大きく展開するどころか、私は娘の心の声を聞くことも、精神的に苦しむ青少年たちの心の声も聞くことはできなかったでしょう。
勿論、その境地に至るまで苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、悔しいことも数え切れないほどありました。出口の無い迷宮に迷いこみ、呼吸がどんどん浅くなっていくような感覚でした。
「有るがまま為すがままに生きよ」という禅の本の広告がたまたま目に入ったのも、天の采配による運命的な禅との出会いだったように思えます。
2回目は、長野オリンピック・パラリンピックの閉会式で歌を歌ったスーザン・オズボーンとの対談。
「命と愛と希望と夢を込めて歌う」テーマで、「水輪 まほろば」で取材を受けさせていただきました。語り合うといっても、まだまだ語り足りないほど濃密な時間でした。
スーザンの歌声は、ただ「上手い」、「綺麗」などの美辞麗句にはとてもおさまらない、「人の心を癒す」もの。歌が上手な人は、探せば日本でも世界でもごまんといます。けれども本当の意味で「人の心を癒す」ことができる歌を歌える人は、ほんのわずかなのではないでしょうか。パラリンピックは人の心を響かせるものであるため、そこで歌われる歌は「人の心を癒す」ものでないといけないと思い、東京代々木にある冬季オリンピック・パラリンピック委員会の本部長である久石譲さんに多くの人々からの推薦状を送り、スーザンオズボーンさんを冬季オリンピック・パラリンピックの長野委員会を通して推薦しましたが、結果あとオリンピックまで3か月しかない、しかも当時の皇太子殿下夫妻(現天皇陛下夫妻)がご臨席いただくために分刻みのSP(皇太子夫妻を守る警護の人)がつき、全て寸分の狂いも無く、計画が整えられていた。ハエ一匹も入る余地がない所にスーザンオズボーンさんを推薦し、長野の有志の皆さんが動いてくださって実現する運びとなりましたが、冬季長野オリンピックの委員会の方々にも大変なお世話になった出来事でした。今思い出しても忘れない、平成10年12月8日に冬季長野オリンピック委員会の方からお電話を頂き、「これはオフレコですが、閉会式でスーザンが歌うことが決まりました」と電話を頂きました。その日12月8日は、お釈迦様が悟りを開いた日でした。当時、推薦して下さった湯川れい子さん、宮本亜門さん、永六輔さん、加藤登紀子さん、ありがとうございました。
彼女の歌声は、春に吹く爽やかで暖かなそよ風のように心に入り込み、じんわりと温めてくれます。それでいて、心を抱きしめて離さない、大きくて温かい手に抱かれているような、そんな感覚になります。まさに「愛と希望と夢」を与えてくれる歌声だと思いました。今でもオリンピックの前夜祭とパラリンピック閉会式で歌われた「上を向いて歩こう」は忘れられません。
水輪では、スーザンを講師に招いてボイスセミナーを行っていました。ただ「上手に歌えるようになりましょう」というものではなく、「魂の声を聞くことができるように」なることが目的です。互いに感じて、理解し合って、本当に伝えたいことは何か、思っていることは何か。それに出会うことができるセミナーだったと思います。
そして3回目は、帯津良一先生との対談記事。
「生老病死」特集にて、「生命の不思議」について語らせて頂きました。死生観や、ホリスティック医学について、「祈り」について等々、様々なことについてお話ししました。
生の観点から見ると、死は輪郭がぼやけた不透明なもの、恐ろしいものだと思ってしまいます。死の観点から生を見れば、考え方や見方は変わってくるでしょう。死は、死んでしまったらそこで終わりではなく魂という意識は宇宙のビッグバンが起きた百五十億年の彼方へ帰り、また人として生まれるかもしれない、他の星に行くかもしれない。肉体が死んだらそこで終わり、という唯物論的な事象ではなく、もっと深い世界がある。「普段から死のことを考えておく」と帯津先生は仰いますが、それは決してマイナスイメージのものではなく、「いつでも死ねる」という心構えを持つこと。そのために大切なことは、やはり「今を生きる」ことだと思います。過去や未来に囚われている時は、どうしてもエネルギーが下がってしまう。今に生き、エネルギーを高めることは自然治癒力の向上にも繋がります。ホリスティック医学が目指すところは、そこなのではないかと思うのです。医療の現場において「祈り」、「想い」、「意識」等といった言葉は、なかなか浸透しない現実がありますが、これらは私たちの目で見えないだけで、マイクロ、ナノといった量子の世界で働きかけているのです。そして共振、共鳴が起こり、エネルギーの波動として伝わっていくのです。本気で祈れば、想えば、その意識は光を超えて辿り着く。勿論行動に出ることも必要ですが、大切なのは「心」であると思います。
いくつであってもいつであっても、自然体にのびのびと生きる。それに努めていれば、死は恐れるものではなく、自らの一部として受け入れることが出来るのではないでしょうか。
生命とは不思議なもので、怪我をしてしまったとしても病気になってしまったとしても、「悪しきことを思えば悪しきことが実現し、善きことを思えば善きことが実現する」のです。それで体の細胞全てが働いて、病気が良くなったり、悪くなったりしてしまうのです。
これは森井先生も仰ってましたが、「病気を楽しむ」こと。病気を楽しんで、病気と共生していく。そうすれば病気が良くなる人もいるかもしれませんし、その病気がきっかけで何かが変わる人もいるかもしれません。
「生老病死」。生まれ、老い、病み、そして死ぬ。全ての生き物は生まれた瞬間に死が約束されています。その人生の中で自分がどう考え、感じ、生きるのか。それが人類にとって共通する大きなテーマになり得ると思います。
こうして改めて過去の記事を読み返すと、当時何が起こっていたのか、何を考えていたのかがわかりますが、想いはずっと変わることはありません。
早穂理に、健やかに長く生きてほしい。そして生き方と働き方の生徒、ひいては日本中世界中の人々が皆、「あなたもよくなる 私もよくなる あなたも私もよくなるけれどもみんながよくなる」ことを考え、「今に生きる」ことを実践できれば、世界全体が良くなるのではないかと思います














