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いわゆる
精神霊的な探究者は、
霊性など少しも探究していない。
彼らは自らの欲望を
新しい次元に投影しているだけだ。
だが、
霊的な次元においては、
微塵の欲望も
投影することは許されない。
なぜなら、
霊的な次元は
渇望していない者たちに対してのみ
開かれているからだ。
それゆえに、
欲望を抱いている者たちは、
新しい幻想、
新しい夢を
際限なく生み出しつづけてゆく。
まず欲望にはきりがなく、
どこにも行きつかないことを
自覚すること・・
そして次には、
静かに立ち止まり、
あるがままのものを知ること・・
あらゆるものが開いている。
欲望が私たちを
閉じ込めているだけだ。
全存在が開いている。
すべての扉が開いている。
だが、
私たちは
あまりにも素早く走っているために、
それを見ることができない。
そして、
欲求不満がつのればつのるほど、
私たちは
スピードを上げてゆく。
というのも、
マインドが
「まだスピードが足りない、
 辿り着かないのはそのためだ」
と言うからだ。
マインドは
「辿り着かないのは
 おまえが走っているからだ」
とは言わない。
マインドに言えるはずがない。
それは非論理的だ。
マインドは言う。
「おまえがもっと早く走らないから
 辿り着かないのだ。
 だから、もっと早く走れ!
 もっと早く走っている者たちは、
 辿り着こうとしている」と。
ところが、
もっと早く走っている者たちに尋ねたら、
彼らのマインドも同じことを言っている。
「もっと早く走るんだ。
 全速力で走っている者たちは、
 辿り着こうとしている」
誰も辿り着こうとしてなどいない。
だが、
あなたの前にも、
そして後ろにも
かならず誰かがいる。
あなたは誰かの先を進んでいるが、
どこにいようと、
かならずあなたの前にも誰かがいる。
なぜだろう?
それは欲望が
輪を描いて走るからだ。
私たちは輪になって走っている。
だから、
あまり早く走ると、
後ろにいた人までもが
あなたの先にくることがある。
私たちは輪になって走っているので、
かならず前には誰かがいる。
そうなると、
まだスピードが足らない・・
あいつが辿り着こうとしているのに、
俺は負けつつあるという感覚が起こる。
インドでは、
多くの真理が知られている。
私たちはこの世界を
サンサーラと呼んだ。
サンサーラとは
「車輪」を意味する。
あなたが走っているだけでなく、
車輪そのものも回っている。
それは静止した輪ではない。
あなたが立ちつくしていても、
車輪は回りつづける。
だから、
走ることを止めるだけではだめだ。
人はこの輪から
抜け出さなければならない。
この抜け出すことがサニヤスだ。
止まるだけでは充分ではない。
あなたは輪から
完全に抜け出さなければならない。
あなたが走っていなくても、
輪は回りつづけるからだ。
その輪には
とてつもない力があるので、
その場にじっと立っていても、
あなたは動いている。
サニヤスとは降りること・・
走るのを止めるだけでなく、
降りることだ。
輪から降りなさい。
そこから完全に抜け出して、
輪を目撃するがいい。
そのとき初めて、
この輪が何でできていて、
なぜ自分が走っていないときですら
回りつづけるかがわかるようになる。
この輪は無限の欲望・・
かってあった一切の欲望、
今ある一切の欲望、
これまで存在してきた
すべての人や
生きとし生けるすべてのものの
欲望によって生み出されている。
あなたは死んでゆくが、
あなたの欲望は
死後も続く波を引き起こしている。
あなたは
この世から去ってゆくが、
あなたの欲望は
ヌー圏にさざ波を引き起こしている。
あなたはこの世を去るかもしれないが、
私が語っているこれらの言葉、
これらの音は永遠に振動しつづけてゆく。
あなたが抱いた欲望が何であれ、
それが充たされても
充たされなくても変わりはない。
欲望があなたのマインド、
あなたのハートに入り込む瞬間、
あなたはさざ波、
波動を引き起こしている。
それらはどこまでも続いてゆく。
この車輪、
このサンサーラは、
かってあった一切の欲望、
存在している一切の欲望から成っている。
この力・・
あらゆる死者と
あらゆる生者の力・・
があまりに強大なので、
あなたは静かに立っていられない。
その力に押されて、
あなたは走らざるをえなくなる。
それはまるで
群衆の中にいるようなものだ。
群衆全体が走っていれば、
あなたは静かに立ってはいられない。
あなたは押されて走る。
走れば安全だが、
走らなければ殺されてしまう。
走るのにあなたのエネルギーはいらない。
少しも努力しなくても、
群衆が押してくれる。
これが車輪、
欲望の車輪だ。
あなたはチベットの車輪の絵を
見たことがあるにちがいない。
そこには欲望の車輪の全容が
みごとに描かれている。
この輪から抜け出すことがサニヤスだ。
あなたはただ群衆から出てくる。
あなたはただ降りる。
あなたはただ道端に坐って、
さよならを言う。
そのとき初めて、
その現象、
その輪の正体がわかる。
そのとき初めて、
人々が輪になって走っているのがわかる。
彼らが何度も何度も
あなたの前を通り過ぎるので、
それが輪であることがわかる。
仏陀やマハヴィーラのような人が、
この世界をサンサーラ、
車輪と呼ぶことができたのは、
彼らがそこから抜け出して、
それが輪であることを知ったからだ。
あなたは
直線の上を走っているのではない。
それは円だ。
同じ欲望がくり返され、
夜、昼となく、
同じ欲求不満を与える幻想が
旋風となって舞いつづける。
後ろから押され、
前から引っ張られ、
あなたは舞いつづける。