水輪

ワーキングセラピー

生活の中に幸せの宝物になる事が一杯あります。

いのちの森水輪では心を静寂にすることを学んでおり、お客様にもこの日常の作務(清掃)を通じて自室や会場を美しく整え、清々しい心 で「今ここ自己」を体験して頂き、心の静寂さに出会われている方も多く、多くの参加者の方から喜ばれています。高原の気の満ちた静けさの中、生活の基本か ら15~30分程度の清掃を通して心と体を整えるワーキングメディテーションを取り入れております。(プログラムの都合上、時間のとれない方はお申し出下さい。

ワーク(食事を作ったり、お部屋を掃除したり、畑で野菜を作ったり、トイレやお風呂掃除をしたり)をすることは、人間の生活の基本であり仕事と同じように生きていく上で大切な事です。また、スポーツジムに通って特別な運動をすることだけが体を動かす運動ではなく、生活や仕事の中で当たり前の体の動きがあり、それが私たちの細胞を活性化してくれます。生活自体が、健康な体と心をつくるものであることを学びます。生活の中に幸せの宝物になる事が一杯あります。今ここに集中できる自分作りを目指します。

水輪宿泊の方 500円

水輪ではすべての行いを心静かにしかも的確に行えるように常に呼吸を意識しています。
掃除、食事の準備など、日常生活を営むために必要な様々な実習をただ漫然とこなすのではなく、
集中し、心を込めて行うことによって、心が静まり、心が磨かれて行きます。
そして、大自然の中で体を動かすことの気持ち良さ…。呼吸の乱れが整い、静かな心になっている自分に気づきます。

禅の修行では、自己を深めるため作務(つとめを果たす、つとめをつくる。1日なさざるは1日食さず)を通して
いま、ここ、自己という小さな自分から、いま、ここ愛という大きな自分に目覚めて行きます。

何の変哲もない日常の中にこそ真理があることを思い出して下さい。
そして、ときどき小鳥の声に耳を傾けて下さい。野の道の名もなき雑草にふと心を置いて下さい。
忘れていた遙かなるものにつながっている自分をきっと発見されていくことと思います。

清掃が心を静寂にする(Cleaning makes your mind pure.)
瞑想の目的は人それぞれあると思いますが、多くの方は瞑想することによって、自分の心が純粋になり、静かになり、愛にあふれ、明晰になることを望んでおられることと思います。ただ静かに座ることによって、これらの境地を体験された方もおられることでしょう。また、じっと座っていることなど、とても苦手に感じる方もおられることと思いますが、心へのアプローチは多様な方法があります。本当は、じっと座ること以外にも、日常生活すべてが瞑想なのです。ご存じの方も多いと思いますが、禅の教えの中にこんな話があります。修行僧の中に非常に物覚えが悪く、愚純な人がいたそうです。禅師は彼に毎日清掃することを命じました。これは、自分の心の中にあるゴミを掃き清めるのだと信じて清掃するようにと。毎日、真剣に清掃を続けた彼は愚純であることから解放され、大変頭脳明晰になったということです。この話に象徴されているように、行為と意識とはつながっています。そして、自分ではコントロールできない深い意識にアプローチするには、行為から入ることが大変有効です。言葉についても同様です。たわいないおしゃべり、心無い言葉、意味のないジョークや流行の言葉の連発、他人をねたにしてその場を楽しむ、といったことをしていませんか。そうではなく、他者を思いやる言葉、真実の言葉、正確な情報を伝えるということを心がけて言葉を発してみてください。意識は必ず変わって行きます。

目覚めた心と散漫な心(Mindful&Mindless)
ただ漠然と行う行為、思慮のないことばづかい、これらは散漫な心(=mindless・マインドレス)の現れです。心に注意を払わないで、物質的なことのみに目をむけながら生きていると心はすぐに散漫になってしまいます。心はエゴでいっぱいになり、常に何かを求め、満たされない状態です。心はスキだらけで、すぐネガティブな波動と感応してしまいます。これにたいして、目覚めた心の状態があります。常に自分を見つめる意識があります。何が起こっているのか、自分がどんな状態にあるかがわかっています。何かの中にいながらもそれに浸ってしまうことはなく、いつでも心を転換することができます。心には調和があり、満たされています。(=mindful・マインドフル)目覚めた心の状態に至るために古来より多くの道が考案されてきました。特に日本文化はこの点が非常に優れています。茶道、華道をはじめとして道と名のつくもの、柔道、剣道、弓道、合気道、書道などは、行為の瞑想です。禅僧が行ってきた作務もそうです。体を使うことを通じて目覚めた心に至ることを目的としています。私たちが日本人は灯台下暗しで、今日ではこれらの道の本来の精神を正しく理解している人は少ないのですが、欧米ではこれらの道はマーシャル・アーツとよばれ、心身が共に目覚めて行くための有効な手段として高く評価され、日本人以上にその精神に精通し、熱心に取り組む人が多いのです。

行いはその人の意識の現れ
(Deeds are manifestiation of your consciousness.)
言葉や行為はその人の意識の現れです。エゴに満ちた意識の時はそれに相応する言葉づかいや態度が示されます。愛に満ちた心でいる時にも、それは言葉や態度に現れます。意識と言葉と行為は私たちが肉体を持ち、生きている限り切りはなすことはできません。意識がおおもととなって、それが言葉や行為となって現れ、五感で認識されるわけですが、言葉や行為の瞑想では逆のアプローチを行います。最初は心は散漫でも良いのです。けれど、注意深い行為、ていねいで心を込めた行為を意識的に行ったり、それにもとづく言葉を意識的に発したりすることによって、つまり、目覚めた心から出てくる行為や言葉を形だけでも真似してみることによって、実際にその意識に至ろうとするものです。そんなことが果たして可能なのだろうか?と思われる方もいらっしゃるでしょう。不思議なことかもしれませんが、それは可能です。水輪でのワークや共に時間を過ごす人たちとの言葉づかいからはじめてみてください。ここにいる間だけでも意識的に行うと、それが次第に潜在意識にインプットされ、あなた自身を変えていきます。

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